ペシャワール会 ワーカー現地報告No.124
地域に広がり始めた試験農場の成果
農業計画進捗報告
PMS農業計画現地担当:伊藤和也・進藤陽一郎・山口敦史/農業指導員:高橋修
2008年06月25日
大盛会の収穫祭 〜はじめに〜
日本米も供された試験農場の収穫祭
昨年11月、ダラエヌールのカライシャヒ・ブディアライ両試験農場で収穫祭を開催しました。
提供した食事のメニューは、現地風に調理された日本米と大豆、サツマイモの菓子とチップスなど、ほとんど試験農場の生産物を使った料理です。

地域の長老達を始め大勢の農家が参加して大盛会となりました。この一年間、試験成果を地域へ広める役割を担ってくれた農家達のおかげで賑やかな収穫祭を行うことが出来たことを有り難く思いながら、以下、各作物の地域への普及状況を中心にこの一年の活動を報告します。

現地品種の1,5倍 日本米の収量に大反響
収穫祭のメインディッシュに用いた日本米は、昨年42戸の農家が栽培しました。試験農場では3年続けて10アール(1,000平方メートル)当たり600キログラム弱の高収量ですが、周辺農家でも450キロから500キロという、現地の平均からすると1,5倍以上の高い収量を上げ大評判となりました。
 農家の食料を豊かにするだけでなく、あわよくば日本人ワーカーの食卓で毎日日本米を食べられればと、若干利己的な動機も交えて普及に踏み切った我々としては本当に嬉しい結果です。

しかし問題もあります。日本米は乾燥時の高温によって砕け米が発生しますが、現地の慣例よりも田植えを遅くしたり、直射日光に当てすぎない乾燥方法にするなどの工夫により、大分解決の目途がついてきました。
しかし彼らにとっては砕け米の発生よりも日本米特有の脱穀の困難性の方が厄介な問題のようですので、図面を見ながら「こき」を試作し、より容易な脱穀作業を目指してきました。
農家から「日本で戦前に使っていた道具を今更アフガニスタンに持ち込むとはしからん!」などと冷やかしもありましたが、使い慣れるにつれて楽しそうに作業をしています。実は、千歯こきは江戸時代の道具であることは伏せてあります。

なお今年は、農家の要望に応えてキャナル流域にも日本米を普及していく計画です。
収穫祭のメニューのもう一つの狙いは、今年特に普及していきたいと思っている大豆の料理を多くの人に味わってもらうことでした。「畑の肉」と呼ばれるほど栄養価の高い大豆ですが、実際に食べて知ってもらうのが最上の方策と考えたからです。

反応は上々で、普段「お前らが来いって言うから来てやったんじゃ、早く飯は出さんのか?」と文句しか言わない爺様達も、「この豆は美味い」「種をくれるなら是非うちでも栽培したい」「畑の周りに植えてみようと思うがどうじゃろ?」と好印象を示してくれ、こちらからも「どんどん種を増やすから是非栽培して下さい」と宣言しました。
大豆は播種時の土壌水分を調節して発芽さえすれば、乾燥にも強く僅かの肥料で良く育ち、10アール当たりに200キロ前後の高い収量を出せる目途がついています。今年は採種用の栽培面積を倍増し、より多くの食卓で食べてもらえるように備えていきます。

日本米は予想以上の収穫
飼料作物ではエン麦が突出した好成績
これまでの取り組みで夏期にはソルゴー、春から秋にかけてはアルファルファ、また冬期においてはエン麦が有望と認められ、それぞれ昨年から普及に努めてきました。
特にエン麦は、

1. 飼料が不足する冬期から春先にかけて2〜3回の刈り取りが可能であり、
2. 現地で一般的に栽培されている小麦や牧草と同じ要領で栽培が可能である、
3. また容易に自家採種ができる、
という三点で農家の評価が高く、一般農家への普及も順調に進行中です。昨年の秋に試験農場の近くの農家50戸を選定して種子を配布したところ、いずれの農家も良い成績を収め、「うちの畑では3回刈れたぞ!」「いやうちでは4回刈って更に伸びている!」「見ろ!うちはクローバーと混ぜて育てたら冷害がなかった!」、などと農家同士が自慢話を通じて無償の広報活動を担ってくれ、大幅な普及拡大へ向けての手応えを感じています。

一方アルファルファとソルゴーは、毎年数戸ずつに種子を提供してきましたが、刈り取りできる生草量の多さから年ごとに人気が高まっています。現在数10戸の農家からの希望に対して種子配布が追いついかない状態です。
そこで今年はアルファルファの採種圃場を倍増し、またソルゴーは採種栽培用の種子を更新し、彼らの期待に応えるように努力をしている最中です。
現地では必ずどの家でも牛・ヤギ等を飼っているため、家畜飼料の確保は主食用の作物と同等に生活内容を左右する重要な案件です。我々は小規模の農家でも十分な飼料確保が達成されることを目的とし、現在、ここに取り上げた3種類の飼料作物の普及に必要な種子の生産を急いでいます。

一斉に開花した除虫菊
除虫菊に注目集まる
除虫菊は日本では蚊取り線香の原料として知られていますが、現地ではマラリア蚊防除と農薬の自給という二つの効用が狙える貴重な作物です。実のところ当初我々は除虫菊と野草との区別すらつかず、せっせと野草も一緒に世話をしていました。誠にお恥ずかしい限りです。苦労の甲斐あってこの春見事に美しい白い花を畑一面に咲かせてくれ、試験農場の目玉の一つになりました。
 面白いのは、見かけによらずというべきか、あるいはいつも目に映るものに色気がないからか、除虫菊は農家のオヤジ達に大変好かれており、頻繁に除虫菊畑の周辺にたむろする姿が見られます。
 実は除虫菊は虫除けの効果と同時に、アフガニスタンのひげオヤジを呼び寄せるフェロモン効果もあったのかなどと勝手に納得しつつ、今年は夏の耐暑性、採種の方法などを確かめる期間として栽培を続けていきます。

ついに始まった製茶
お茶畑
今から5年前、2003年の11月にパキスタンの試験場から貰った苗を定植した茶園と、2005年に日本で寄贈頂いた種子から育てた北部集落の茶園で、念願の春一番茶が大々的に摘み取れたことは今年一番のニュースです。製茶は茶園の近くにを設け、初めての緑茶作りを興味深そうに見つめる周辺の農家に囲まれながら、賑やかに製茶作業を行うことができました。

試飲会
 お茶栽培のかねてからの課題は、夏場の高温とアルカリ土壌障害への対策ですが、夏場の高温に対しては、これまで遮光用にソルゴーを壁のように生やしていたのに対し、今年からはの木を茶園内に均等に植え付け、恒久的な遮光を得られるようにしたり、逆の発想で農家の杏園に茶を植え付けたりという試験を開始しています。
 もう一つの課題である土壌のアルカリ性の調整については、現在なお解決の見通しが立っておりません。茶の木が枯死してもおかしくないペーハ値を示す畑ですが、茶摘みができるほどに成長してくれ本当に驚いています。ここまでくるともはや人知の及ばざるところ、アッラーの神様が手助けをしてくれているのであろうかなど、農家と多少冗談めかして話し合っております。
 それはそれでアッラーの神の見えざる手助けを有り難く頂きながら、お茶好きのアフガン人が毎日飲むお茶を少しずつでも自給できるように頑張っていきます。

幻のブドウ・ついに収穫へ
成熟間近の立派なブドウ、泥棒が心配
ドウはこれまで毎年、実る寸前になるとことごとく近隣の子供達に盗み食いされ、悔しい思いをしながら肝心の食味が分からない幻のブドウの世話を続けてきました。昨年は心を鬼にして子供達を追い散らしましたが、やはり盗み食いが止まらないので本当の鬼になってやろうかというところまできました。今年はついにたわわに実った子実を収穫できる見込みとなりましたので一転気が和み、我々もアッラーの神ならぬ仏の心になりました。この会報が皆様の手に届いている頃には、きっと念願のブドウを「美味しい!」と農家達と一緒に味わっているはずであります。

また、これに先んじて、新たに剪定した枝を使った挿し木苗を生産する試験を開始しました。すでに苗木配布の要望も多く寄せられており、乾いた農村の生活に甘い潤いを届けることができる日を待ち望みながら、今後も苗木の増殖に努めていきます。

サツマイモを腹一杯食べてもらえるように
救荒作物として期待されるサツマイモ
この冬は特に厳しい寒さの中での保存を終え、ようやく苗の芽が出た時にはホッとしました。これで我々の試験農場が2年続けてサツマイモ苗の生産・配布センターとして機能し、普及も軌道に乗ってきました。

昨年は26戸の農家が試験農場から提供した苗でサツマイモの栽培を行いましたが、今年も新規に有志農家を選定しながら普及に努めています。サツマイモの栽培が成功するコツは、できるだけ早い時期に植え付けることと分かってきました。試験農場では10アール当たり2,000キログラム弱の収量を得、目標の2500キロに大分近づいています。

種芋保存に関しては、麦やトウモロコシの茎などで縦穴を覆って保温するという簡素な方法で9割以上の種芋を保存することができ、ようやく温度管理の目途がつきましたが、課題は、農家自身の手によって冬場の種芋保存と苗作りを実現することです。今年は有志農家個々でも種芋を保存するよう、手助けをしていきたいと思っています。もう一方の苗作りは、2年続けて有志農家で実践している簡易育苗法がまずまずの成績ですので、この方法を基に普及を図っていきます。

サツマイモは同じ栽培面積で水稲の2倍以上の人口を養うことが可能な救荒作物としての一面も持っています。あるいは日本で食糧難の時代をサツマイモと共に過ごされてきた年輩の方々は「もう芋は結構。一生分食べました」と苦笑されるかもしれませんが、今や現地でのサツマイモへの人気は非常に高く、例えば昨年の収穫の際には実に日本人一人の一生分くらいの芋が、アッという間に農家達に、半ば取り合いに近い形で分配されたほどです。この人気こそは我々にとっての最大の追い風であり、同時に我々自身がサツマイモの試験を続けようと思う一番の理由と言えるかもしれません。今後はそれこそ現地の人達が、どこの家庭でも毎年腹一杯サツマイモを食べられるように、栽培から種芋の保存、そして育苗まで、更に実践しやすい技術の確立に努めて行きます。

救荒作物として期待されるサツマイモ
人材の育成を目標として
今後農業計画の成果を定着させるためには、作物だけでなく人材の育成がますます重要になってきます。その先頭を行くのはこれまで文字通り我々と共に働き、共に失敗に泣き、共に成功に喜びながら経験を蓄積してきた試験農場の担当農家達です。「俺自身がこの数年間栽培試験をやってきた種だ。品質は保証する。安心していてくれ」と、今や我々に代わって周りの農家に対して自信をもって指導に当たってくれる頼もしい人材に成長してきました。

おかげで彼らを仲立ちにしてたくさんの篤農家達との出会いにも恵まれ、昨秋には冒頭に紹介した通りこれまでにない賑やかな収穫祭も催すことができました。いずれにしても最後の最後に残るものは彼ら現地の農家と作物だけです。少しでも多くの成果が、彼等によってアフガニスタンの将来に引き継がれることを願いながら、これからも一つ一つの積み重ねを大切にしていきます。

アフガニスタンの農村を取り巻く情勢はあらゆる面で厳しくなっています。しかしそれでも現地の人達は明るく逞しく生活しています。日本でもアフガニスタンでも平穏な生活を求める願いは同じです。我々はアフガニスタンの人々が安心して食べていくために投じた一石が根付くよう、これからも一生懸命活動していく所存です。今後も我々の活動に変わらぬご支援を頂ければ幸いです。どうか皆様も平穏な日々と共にありますように。