「テロとの戦い」常に弱者が犠牲に
移転迫られたペシャワール会の基地病院


ペシャワール会現地代表・PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村哲



 私が用水路建設を行っているアフガンから帰国すると、国会では「テロ特措法」をめぐって、議論が沸騰していた。幾つかの政党からも意見を求められたが、議論には、現地で空爆という人災と旱魃という天災の被害を受けている農民の視点が欠落していた。更に不思議なことに、現地で感謝されている日本政府の復興支援策には触れず、自衛隊の給油活動だけが「国際貢献」として強調されていた。
 私たちが国境の町ペシャワールに本拠を置き、アフガン東部とパキスタン国境沿いで医療活動を続けて23年になる。PMS (ペシャーワル会医療サービス)の基地病院はハンセン病を柱としつつアフガン難民の一般診療を行い、貧民層の支えとなってきた。連邦政府に認可された難民医療団体であると同時に、9年前にはハンセン病患者のための、北西辺境州認可の社会福祉法人としての合法的位置をも得ていた
 今年5月、パキスタン連邦政府から出された「改善命令」は、ここを半恒久的な基地病院と信じていた我々には寝耳に水であった。「難民支援機関でありながら、州の社会福祉法人とする二重登録は違法である。政府が認める正規の医師・看護師を置き、管理者もパキスタン人にせよ」との要求である。これに従えば、診療の主力であったアフガン人医療職員は行き場を失う。そもそも、ハンセン病診療に関心を示すパキスタン人の医療関係者は皆無に近かった。現場の看護師たちは、我々が長い年月をかけて病院で育ててきた者ばかりである。改善命令と別に、我々の入国ビザが極端に制限され始め、それまで1〜3年発給されていたものが、2週間しか許可されず、病院の実質的な管理が不可能に陥った。

 我々にとって最大の苦悩は、長期のケアを要するハンセン病患者(大半がアフガン人)の行方である。PMS以外に患者たちをまともに診れる施設はない。そこで、アフガニスタンのジャララバードに急ごしらえの施設を準備し、アフガン人患者診療の態勢を建て直すため、アフガン側行政との折衝に追いまくられている。これまで育成してきたパキスタン国籍の看護助手、職員らはアフガン側に移れないので、看護学校に入学させて自活できるよう手配したりしている。

 解せないのは、州の社会福祉法人の登録が不法なら、何故9年前にパキスタン政府関係者が自らそれを勧めたかということだ。背景には、パキスタン政府の「難民帰還」の性急な実施がある。現在、難民は300万人、その大半が大旱魃と戦乱から逃れてきた者で、増加の一途をたどっている。追い詰められた難民たちを強制的に帰すのは無理である。にもかかわらず、難民の福祉機関が次々と閉鎖され、昨年は難民の教育機関が消えた。ペシャワール最大の難民キャンプも強引に取り壊された。難民キャンプを「テロリストの温床」とみなし、強制送還は「対テロ戦争協力の一環」という噂である。その背後にアメリカの意志を感じざるを得ない。

 そもそもパキスタン北西辺境州とアフガン東部は、同じパシュトゥン民族が住む、事実上一体の地域だ。アフガン・パキスタン両政府は、この境界地域を腫れ物に触るように扱ってきた。米軍によるこの地域への「テロ掃討作戦」は、両国の暗黙のタブーを犯して混乱を誘発、連日暴動や自爆テロが起こっている。

 およそ、このような中での「基地病院移転」の決断であった。我々としては、「国境」を意識せず、基地病院をより活動しやすい場所に移そうとしている。この事情は日本では理解されにくい。

 「テロとの戦い」は、「国際社会の安全と繁栄」を言いつつ、常に弱者を犠牲としている。それは、迫害されるハンセン病患者のささやかなオアシスをさえ奪い去ろうとしている。

(毎日新聞 2007年11月5日)

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