水路現場写真(2009年5月11日受取)


FG区の盛土水路

 F・G区間は全工程の中で最も手を焼いた場所だ。写真で見れば何でもない地面の掘削のようだが、これが実は約1kmにわたって岩盤沿いに埋め立てた盛土で、その頂点を掘ったものである。川沿いの湿地帯だったから、ずいぶん難儀した。一番高いところは地面から17m、それもぬかるみの軟弱地盤だったので、安定まで年月がかかり、最後まで気を抜けなかった。

 浸透水処理など軟弱地盤の対処だけでなく、クナール河分流の河道変更までやった。夏の激流が年々近寄って、盛土直下を洗掘、ついに2006年6月大決壊を起こした。120mの石出し水制を3基建設すると共に、1.5kmに及ぶ自然河道回復が試みられた。一連の工事は、2007年1月から翌2008年3月まで、一年以上の時間と多大の予算をかけて行われた。最初にソイル・セメント(泥にセメントを混和して土質を改良する方法)が施工されたのもこの地点で、その後主要な工法として採用され、用水路建設を成功に導いた。

 この工事の副産物として、下手のシェイワ用水路・取水口の建設が可能となり、前後の地域の洪水被害を遠ざけたのである。地盤は完全に安定して、工事以後、決壊や地盤沈下はなくなった。回復した旧河道は安定した分流をなし、対岸の洪水被害をも減らした。今、土手に植えた木々が生い茂り、長い林を作っている。あれほど暴れた河は、ほどほどの距離を置いて、水路と仲良く平和に流れている。

 数々の河との格闘の思い出の中で、特別の感慨と感謝を抱いてこの光景を眺め得るのは、工事に携わった者の特権である。


2005年2月27日
造成中の盛土水路(3.9~4.8km区間)
手前がG岩盤、右手に湿地帯が見える。


2009年5月10日
造成から4年を経過した同地点。
この2年間、決壊は起きなくなった。

★Dr.T.Nakamura★
中村 哲
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