受信日:2010年02月27日



事務局のみなさん、

 完工式も終わり、「めでたしめでたし」としたい所ですが、自然も人間も一筋縄では行きません。それでも、大工事はまもなく終わりそうです。

 カマ郡の取水口建設が大詰めを迎えました。今週はカマ取水堰に張りつけで作業に当たりました。捨石工による堰の建設は、この7年間の試行錯誤PMSが会得したものですが、やはり忍耐が要ります。昨年は第一取水口の建設にダンプカーで3,000台分の巨石を運び、今回は第二取水堰に約1,200台分を使いました。

 カマ地域については、再々触れたとおりです。ドゥルンタ・ダムの灌漑流域を除き、スピンガル山麓がほぼ壊滅に近い状態になった今、ジャララバード近郊では最大の農村地帯となっています。しかし、それも数年前から取水が困難となり、青息吐息の状態だったのです。決して行政や援助団体が怠慢だったのではなく、ここ十数年前からの気候変動が影響しており、夏冬の河の水位差が大きくなったからです。
 すなわち、雪解けによる増水が早まると同時に、一時的な洪水量が増えています。元来6月~7月にピークであった河の急激な高水位が4月~5月に集中し、短期化しています。そして、その後は逆に異常低水位になってしまいます。すると、これまでの農作物の作付けのリズムに合わず、農業生産に打撃を与えます。例えば、小麦の場合、11月の作付けに必要な水量が得られずに播き時期を逃し、コメの育成に最も水が要る7~8月に灌水できません。水の絶対量だけではなく、季節変動が変化しているのです。
 ともかく、カマ7,000ヘクタール、30万の農民たちは窮状に陥り、次々と難民化したのが現状でした。
 私たちがかつてペシャワールで見ていた「アフガン難民」は、決して戦火だけではなく、実はこうした気候変動による農業生産の低下も、大きな原因だったことを知りました。取水堰の建設は、季節変動だけでなく、年次経過を見て設計、改修すべきものだというのが私たちの結論です。


 去る2月10日、仮工事を完成だと早合点したカマ地域の長老会が主催し、祝賀会が開かれました。カマ郡56ヵ村の村長、長老会メンバー100名が集い、異例の集まりとなりました。党派を超えてアフガン農村社会を底から動かしているのは、ジルガ(長老会)です。滅多に開かれることはないが、一旦長老会で決まることは強い拘束力があります。現地の人々によれば、異例の祝賀会だったそうです。おまけに、アフガン下院議会とニングラハル州評議会から思わぬ感謝状をもらいました。

 名誉なことなのでしょうが、感謝状の下りに、「日本の首長が送り出した最良の工事監督」とあり、いかにもアフガン農村らしいものでした。日本の優秀なる長(Japan prestigious governor)が誰を指すのか不明ですが、一所懸命に英訳したパシュトゥ語なのでしょう。明治の日本人が president を指して「大統領」という新語を作ったのと同じです。要するに地元農民は、ODAやNGOという目では見ておらず、「日本の偉い指導者が遣わした」としか思わないのです。


 さて、今年は少雨による大打撃と書きましたが、2月になって降雨降雪がありました。しかし、「もう少し早く来てくれれば」というのが農民側の感想です。小麦を播く時期には遅すぎ、春先近くに積もる雪は洪水や雪崩となり、根雪となって残らないからです。
 カマ第一取水堰の改修、第二取水堰の工事も、突然の増水で苦戦しました。堰を高くとりすぎると夏の洪水の対処ができません。過去の洪水レベルの記録を基に、慎重に高さと方向を決め、やっと対岸と手をつなごうとした時に、本当に突然増水が始まりました。先端で重機を操縦していた小生は、あわや河の中で立往生となりました。おまけに、当方を信頼しきって、じゃぶじゃぶと途切れなく、石を運んでくるダンプカーは、数珠つなぎにスリップで動けなくなりました。
 今度はダンプカーを救出しながら、足場の石を並べ、何とか窮地を脱しましたが、威張れる名人芸ではありません。肝を冷やす毎日が続きます。



現地の祝典に来られた事務局の方々は、用水路にどんな印象をもたれたでしょうか。
みなさんが去った直後から、降雨がやっと断続的にやってきました。ホッとしたかと思ったら、カマ取水口で堰上げ工事の真っ最中。増水でひやひやしましたが、何とか大きな造作を終えようとしています。
自然も人もヤワでなく、怖いものがなくなりました。もうひと頑張りです。
お働きに感謝します。


長さ160m、底部幅20~40mの第一カマ取水堰(2009年1月26日)。渇水時の河床全体を2.4m堰上げ、一夏を無事に越した。上流側は夏の洪水時に砂利が堆積、
水面から約1mは砂利の床で河床が安定、程よく浅くなっている。



第二カマ取水堰の工事(2010年2月25日)。 この写真を撮った直後に
増水が始まった。話のタネにはよかろうが、こんな危ない作業は勧められない。



堰の高さと流方向を決めながら帰還する。これだけは自分でやらねばならない。計算通りにしないと後で洗掘や河岸に影響が出る。対岸は砂利かと思ったら砂州で、急な増水でえぐられるのに10分とかからなかった。蛇篭による根固め工は工事中だったが、ケガの功名。時間をかけ、さらに大規模な根固め工を再開。(2月26日)



うっすらと拡がる緑。ガンベリ沙漠第二農場。(2月22日)



近くで見ると、もう二葉ではない。紛れもなく菜種の苗だ。(2月22日)


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


← 前の報告へ ○報告トップへ○ 次の報告へ →

Topページへ 連絡先 入会案内