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最後に残ったコンクリート工事。河道④架橋部の改修工事。
2013年12月16日

河道④架橋部の修復イメージ。折れたのは左翼上流端で、そのまま沈下して河床に留まり、基礎の一部が洗掘された。大半は無事だったが、基礎左翼直下1.5mを抉り、深い河道を成した。直径1~2mの巨礫の山で埋め、更に上流側を旧河床の高さまで砂利を敷き詰めて巨礫を河床下に埋設。

床面の損傷は、急流に砂利が通過するため。コンクリートはできるだけ緩斜面にし、網目状に細い鉄筋で覆い十分な配合比を管理する。
2013年12月16日

折れて沈下した構造物上部は径2メートル前後の巨礫と密着させる。ジャングルジムのように鉄筋を張り巡らせ、バイブレーターで隙間なくセメントを詰め込めば、巨大な岩塊となり、相当の急流に耐える。
2013年12月16日

明日最終仕上げ。曇り空に戦々恐々。土木工事は基礎がすべてだ。外観で見えないものの方が多い。今年は特に実感。上部は簡単に変えられる。
2013年12月16日

河道④全体を下流から見る。全長130mで、河道③と合流する。架橋部の背後に緩傾斜で巨礫の堰を成す。
2013年12月16日

河道③の現在。砂礫が洗われて、日に日に流量を増す。
2013年12月16日

河道③末端部の処理。浅く広い流れで、河道②との間に傾斜をつける。河道③の全長は190m。
2013年12月16日

河道②。最終水位はここで決定する。これまでの全ての工事は、このためにあったようなもので、10年の月日を毎日かみしめる。
2013年12月16日

河道②と河道③の合流部を対岸から見る。7割以上の石材がここに使用される。
2013年12月16日

完全に復旧した河道④・河道⑤間の隔壁。堰中堰は長さ約120mで、夏は越流する。貯石した場所は河道の一部となる。
2013年12月16日

復旧した河道⑤と河道⑥。いずれも20m以上川幅を広げている。
2013年12月16日

カンレイ村水車(PMS2号機)の設置光景。水道橋(1900m地点)直後に置けば、下流域への影響が少なく、強力な水圧が利用できる。
2013年12月16日

ガンベリ農場の新開地。今年は広大な一面の麦畑が出現する。手作業でまいたものと機械でまいたものを比較する。少なくともPMS職員・作業員の穀物完全自給は達成される。食の自給が独立の基礎だと皆信じて働く。
2013年12月16日

砂防林で砂嵐被害は遠のいている。今度はユーカリの害が問題となって次々に伐採、マメ科のシーシャムと交代させている。日当たりが悪くなるのが最大の問題。その他、他の植生の成長を阻害する物質を出すという記述もあるが、良く分からない。手でまいた麦畑、水稲栽培後の土地で成長が良い。
2013年12月16日

ユーカリの美点は即効性にあったが、長い目で見れば土着種に及ばない。マツ、ビエラなど、なるべくアフガン産のものに全て交代させようとしている。3~4年をかける雄大な構想で、現在育苗が盛んに行われようとしている。
2013年12月16日

ガンベリ記念公園の花園。作業現場から想像するほどアフガン人は無粋ではない。いかつい男どもは、みな花好きなのだ。特にバラの観賞は、アフガン人の特権のようだ。初冬でも色とりどりの花が咲く。その上、病害虫がほとんど見られない。水洗いして埃を落とすだけで、肥料もあまり考えない。
2013年12月16日

日本から見ればうらやましい話で、青系統以外は何でも見られる。職員たちが家に咲いているのを持ち寄り、無造作に挿し木するだけで、立派な花園ができる。ビックリするような大輪で四季咲きが多い。だが、やはり春先が最も華やかだ。
2013年12月16日

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