―アフガニスタンの現状とPMSの今(5)―
ペシャワール会会員・支援者の皆様へ
PMSによる緊急食糧支援
PMS/ペシャワール会はアフガニスタンのナンガラハル州で、緊急の食糧支援を行っています。
2022年1月23日よりアチン、ドゥールババ、ダラエヌール、デヒバラ、シンワリ、ナージヤンの6郡で、1,800家族(約18,000名)に1カ月分の食糧(小麦、米、豆類、食用油)を手渡しました。栄養失調児や妊産婦のいる家族を対象としました。干ばつの状況は大変厳しいので、本来は飢餓の状態にある人々に広く配給すべきですが、アフガニスタンは経済封鎖の下にあり、日本からの送金が自由にできないために、配給の範囲を制限せざるを得ませんでした。
PMSによる緊急の食糧支援(Nutrition Program For Malnutritional Children and Pregnant Mothers)は混乱がないように、ナンガラハル州保健局の担当者と何度も打ち合わせを行い、郡の保健局があらかじめ対象となる家族を把握し、PMSの医師たちが診察をして、配給カードを手渡すという手順を踏みました。翌日、食糧を積んだトラックが配給所に到着すると、集落の長老らが見守る中、州や郡の職員が人々を秩序良く誘導して、配給は円滑に進みました。
今後はナンガラハル州22郡のうち、同様に飢餓状態の著しい8郡への食糧配給を計画しています。配給実務を担当したPMSのスタッフは医師や事務員、農業担当者など12名で、地域の長老や保健局の行政担当者と協働しました。飢餓が広がっている現状で、配給の対象を選ぶことは非常に困難でつらい作業であるとPMSの医師は語っていますが、それでも最も命を脅かされている人々への食糧配給ができたことは喜びであり、それを可能にしてくれた日本の支援者への感謝を述べていました。
▼アチン郡営の診療所で栄養失調児の診察をするPMSの医師(2022年1月23日)
▼配給を待つ人々(アチン郡2022年1月24日)
▼アチン郡で配給作業(2022年1月24日)
アフガニスタン全土への食糧支援
現在、アフガニスタンへの食糧支援は国連機関(世界食糧計画WFP、国連児童基金UNICEF、食糧農業機構FAO、国連開発計画UNDP)や国際赤十字も実施し、パキスタンやインドなど隣国からも支援が寄せられていると伝えられています。国連人道問題調整事務所(UNOCHA)のレポートでも食糧配布は報告されていますが、メディアによる具体的な報道は少なく、その実情が伝わっていない印象があります。現地PMSもアフガン全土に関する情報はなかなか得られるものではありません。一方で、飢餓、餓死、凍死など危機的な状況は日を追うごとに悪化しています。
アフガニスタンの経済危機
昨年8月、タリバン政権が復活しましたが、「女性の人権が守られていない」「政権が包摂的でない」という理由で、日本を含めた欧米諸国は政権を認めていません。アフガニスタンの国としての資産は米国により凍結され、経済は混乱を極めています。給与の支払いもできない状況なので失業者が急増、食料を買うこともできないのです。国連の4機関(WFP、UNICEF、FAO、UNDP)や国際赤十字も、厳冬期のなか、人口の半分以上が支援なしでは死に瀕する恐れがあると何度も警告しています。
PMSとペシャワール会の食糧配給に至るまでの経過
2021年12月1日、現地PMSとのオンライン会議で食糧支援を実施すべきと判断しましたが、実現するまでにやや時間を要しました。実際の食糧支援に必要な資金をどのようにしてPMSに届けるか、模索・検討する時間が必要だったのです。なぜなら、経済制裁のために、従来のような銀行送金ができないからです。また、アフガニスタンの銀行にあるPMSの活動費については月ごとに引き出せる上限があり、その額はPMSの事業費の2割にも満たないために、医療や用水路事業、人件費などの基本的な経費すら賄えないのが現状だからです。 資金の目途がついたのは昨年12月下旬でした。1月に入り、予算に限りのあるなかで、必要なところに届けるための協議を州政府と重ね、具体的な方針が決定したのは1月13日でした。その後、各郡の保健局が配布リストを用意し、地域の長老たちの協力も得ることができ、円滑な配給が実施可能となりました。
▼ジャララバードから食糧を積み込んだトラック3台がドゥールババ郡の配給所へ向かう。(2022年1月26日)
▼ドゥールババ郡で配給(2022年1月26日)
▼デヒバラ郡の配給作業(2022年2月1日)
▼配給所の後ろには干上がった農地が広がる/デヒバラ郡(2022年2月1日)
私たちが今できること
経済の混乱はアフガニスタン国内で解決できることではなく、米国の制裁という政策によって引き起こされています。国際政治による、人為的な混乱です。米国財務省も昨年12月22日に人道支援に関しては制限を緩和する通達を出し、今年の1月末にもその旨が報道されていますが、実態は何ら変わらないままです。上流(米国や国際社会)でアフガニスタンの資金が堰き止められ、下流(アフガニスタン国内)には資金がないという構図です。
アフガニスタンは、地球温暖化の原因であるCO2排出とは最も無縁な国のひとつです。そのアフガニスタンが温暖化による大干ばつに襲われて飢饉が起きています。多くの人々が餓死する、凍死するという惨劇を座視するまいという声が、いずれの日か世界を変えることを期待しています。
2001年、空爆下のカブールに中村先生が指揮して食糧配給をしました。そのいきさつは『医者、用水路を拓く』(石風社2007年)に記されています。食糧配給を決定して1カ月で実施、1800トンの小麦、食用油20万リットル、27万人(ペシャワール会会報71号)が冬を越せる食糧を配布しました。その経費2億円は日本の人々の緊急募金でした。現地の人々、PMSスタッフ、それを支えた日本人は中村先生の行動の持つ意味を記憶しています。
今、中村先生の「現地で逃れようもない人々を支えよ」との声が聞こえてきます。
ペシャワール会会長/PMS総院長 村上優