Top» トピックス» 掲載日:2023.8.6

―アフガニスタンの現状と
PMSの今(10)―

ペシャワール会会長/PMS総院長 村上優

現場訪問の意義
 2022年12月、2023年3月~4月に続き、6月下旬から7月末までPMS支援室のメンバーがアフガニスタンを訪問しました。中村医師以外は治安悪化やビザが下りないなどの理由で、2010年以降12年間アフガニスタンに行くことは困難でしたが、それが可能になったのは、2021年タリバン政権が復活したのちに治安が改善、戦闘が無くなり、「比較的」安全になったからです。

外務省からはレベル4の警戒地域であると再々注意喚起を促されていますので、タリバン政権の行政には訪問を伝えて護衛を依頼、今回も郊外を含めてPMSの活動地域を回ることができました。
用水路から灌漑の水を得て農地が回復し、人々が戻り、バザールは賑わい、子どもたちが元気に学校から出てくる姿を見ると、平和がそこにあることを実感します。規律が厳しくなって、不正が一掃されているらしいことも感じられます。

今後も、バラコットの小規模灌漑用水路の実務協議、次期作業予定地の選定、正式決定したJICA(国際協力機構)・FAO(国連食糧農業機関)とPMSの協力事業の話し合いなどのために訪問を予定しています。ジア先生らPMS職員と現場を見ながら意見を交換することで、より強固な信頼関係が築かれていくことでしょう。

アフガニスタンをめぐる報道と実情
 日本でも欧米でもアフガニスタンについてのニュースは「女性に対する高等教育、就労の禁止」に関する非難がほとんどです。多くの国はタリバン政権への経済制裁を継続し、政府として承認していません。アフガニスタンの現状がなかなか伝わらないために、日本人を含め世界の人々は、タリバン政権のためにアフガニスタンが絶望的な政治・社会状況下にあると認知しています。実情はどうなのでしょうか。

 アフガニスタンでは、気候変動による干ばつ・突然の豪雨・土石流・鉄砲水などで多くの被害が出ていることが最大の課題です。ここ数年、6月から8月にかけて、雨が局地的、ゲリラ的に降り、災害の予測も難しいのが現状です。灌漑施設や農地が破壊され、安定した農業ができないために、食糧危機に陥っています。さらには経済制裁の結果、失業者が増えて生活が困窮、物乞いが多くなっているようです。貧しい人、弱い人には飢餓・餓死が迫っているのです。しかし、これらのことは日本には伝わっていません。 
私たちの活動地域は、農地が回復し、ゲリラ豪雨にも堰は耐え、水を供給しています。この近辺の生活の変化や、人々の増加は目を見張るばかりで、この地を半年ぶりに訪問した技術支援チームのメンバーは、短期間にこれほど人が増え、バザールや店が豊かになっていることに驚いていました。

ケシ栽培の撲滅について
一時期のアフガニスタンが世界中の麻薬の90%を生産していたということは周知の事実と言ってもいいでしょう。2021年のタリバン政権復活後の顕著な変化のひとつとして、ケシ畑の撲滅があげられます。旧タリバン政権の折にも、ケシ栽培は禁止されたとWHO(世界保健機関)が評価していました。

今回のケシ畑撲滅について米国の「タイム」誌が「タリバンはどのようにしてケシ栽培を撲滅したか、そしてなぜそれが祝福されないのか」と題した記事を掲載しました。
https://time.com/6294753/taliban-opium-suppression-afghanistan/»(2023年7月17日)
「国際社会が何年にもわたって撲滅を試みては失敗してきたアフガンの麻薬経済は、タリバン復権以前の2021年にはアフガンGDPの14%を占めるほどだったが、復権したタリバンが国内のケシ栽培の90%を撲滅したようである。これは表面的には画期的な進展だ。これまで広範囲に及ぶ麻薬生産は腐敗や略奪行為を拡大してきた。しかしそれに代わる経済的代替案なくしては、既に苦境にあるアフガン国民に社会経済的危害を与えるだけだ」「今回のケシ栽培撲滅はアフガン経済に13億ドルと農民45万人分の雇用を喪失させることになる」「これから一年以上ケシ栽培禁止が続けば、ヨーロッパでヘロイン不足が起きフェンタニル(依存性が40倍強い合成麻薬)の常習行為が蔓延するだろう。2000年のケシ栽培禁止時と異なり、今やフェンタニルは手に入りにくいドラッグではなくなっている。北米ではフェンタニル使用による死亡者数が史上最悪のレベルに達している」(大略)
この記事には大きな違和感を覚えます。

【1】前政権時代には、タリバンがケシ栽培を拡大させているとメディアは非難していました。しかし、『アフガニスタン・ペーパーズ』(岩波書店、2022年)ではアフガンの麻薬マフィアの中心は、カルザイ元大統領の実弟であると明らかにしています。中村医師も、旧タリバン政権崩壊後のアフガニスタンについて「タリバン時代はほとんど消滅しておったケシが盛大に復活しました」と記しています(『医者よ、信念はいらないまず命を救え!』2003年)。マスコミは麻薬生産の責任をタリバンに全て押し付けていたのです。

【2】ケシ撲滅のせいでアフガン農民の貧困が進むという主張は欺瞞と言わざるを得ません。経済制裁が彼らに苦境を強いている事実を無視しています。

【3】医療用に作られたフェンタニルの依存症者、中毒死が多いので、ケシからアヘンを取り、モルヒネやヘロインに精製する麻薬の方が安全というのは欧米の論理であり、麻薬消費国である欧米側の利己的な主張です。

中村医師は、医療と無縁であったアフガン僻地の人々が麻薬を鎮痛剤として使用していたことを伝えています。また、「診療所のまわりには実際ケシは植えられませんでした。灌漑用の井戸にしてもケシ栽培には使わないと約束しています。国際社会は麻薬撲滅とかいうけれども、貧乏であるので、そうでもしないと食っていけないという現実があります。しかしある程度の福祉が行き渡る。例えば診療所ができる、灌漑設備が整う、そして農業が充分にできる、というふうになると自然に消えていくものなんですね」(上掲書)と語っています。「タイム」誌の記事と中村医師のどちらがアフガンの人々のことを考えているか、言わずもがなです。

中村医師に立ち返る
かつて赴任後7年間の活動を総括して、中村哲医師は次のように記していました。(会報24号1990年、『中村哲 思索と行動』 178頁)。何が最も大切なことなのか、中村医師に立ち返ります。

「我々の活動を支えてきたもの、ペシャワールの人々と我々とをつないできたものは、人間の忘れてはならぬ何物かへの絶えざる問い掛けである。或は、我々が忘れかけた大切な何物かへの愛惜である。或は、人間が支え合い、分かち合いの中で初めてふさわしい存在感を得るという事実の実証である。こうしてこそ、我々の活動は、あらゆる賛辞も非難も超えて、日本でもペシャワールでも、一つの灯りとしてあり続けることが出来たに違いない。そして我々が活動を支えているというより、我々の方がそれによって支えられているという事実を発見するにちがいない。

我々はこのペシャワールでの活動を通して、人間の愚かさと栄光、戦争と平和、その苦悩と喜び、醜悪さと高貴さ、弱さと強さ、あらゆる人間事象に極端な形で直面してきた。そして少なくとも、我々はそれを分かち合おうとしてきた。(略)
この激動の世界のまっただ中で、過去の価値観や秩序がその清算を迫られる状況で、いったい人間全体がどこに向かおうとしているのかも、誰にも本当の所は分からない。
しかし、だからこそ我々は時代を超えて変わらぬ良心の灯を輝かせ、今後も長期に亘る現実との格闘を通して、人間の静かな告発者であり、同時に人間の弁護者・証人であり続けるだろう」