2024年4月12日現地活動報告
タンギトークチー用水路改修完了
マルワリード用水路I堰、用水路改修も最大の工事が終了
2024年4月12日
皆さま、お元気でお過ごしでしょうか。
久しぶりの現地報告となりました。
2021年8月の政変から私どもの状況も急激に変化してきました。振り返ると今でも、あの時期を乗り越えて現地事業が進められていることに驚き、皆さまのお支えにより今があることをつくづく感じ感謝しております。なかでも大きな変化はタリバン暫定政権が樹立したことで、アフガニスタンに対し資産の凍結、いわゆる経済制裁が課せられたことです。これにより日本からアフガニスタンへ活動資金が送れなくなり、既に現地の銀行に届いていた資金も取り出せないという徹底した制裁です。職員への給料支払いをはじめ日雇い作業員への労賃も数カ月間支払えなかったのです。
中村先生が2000年から取り組んでいたアフガニスタンの大干ばつは、先生の生涯をかけての訴えの通り、現在も進行中で更に厳しい状況となっています。その間に新型コロナウイルス感染症も日本と変わりなく現地でも蔓延しました。デルタ株の流行時PMSの診療所では呼吸困難の患者が急増したため、酸素ボンベを更に買い足したほどでした。ニュースで「免疫力が低下していると感染しやすい」と聞くたびに、中村先生がずっと言い続けた「三度三度のご飯が食べれない人たち」がいることを想い、また干ばつが続いているアフガニスタンの圧倒的な食糧不足の状況にあっても経済制裁を解かない国際社会に対して疑問に思うことがあります。アフガニスタンの干ばつやコロナ感染については遂に触れられることもなく、現在に至るのです。
一方で、PMSからは伝えられるアフガニスタンの治安状況については明るいものがあります。政変後しばらく混乱していましたが、略奪等が無いと分かりいち早く両替商たちは商売を始めました。治安の改善がみられ、PMSの職員たち自身が活動地以外の郡へも出かけることが可能になった、州も跨げるようになったとの連絡が次々と伝えられ、とうとう2022年12月には十数年ぶりに私たちの現地入りが果たされました。
その後もビザの滞在可能期間をフルに使って現地でPMSの職員や地域の人々との交流を深めています。中村先生に代わり灌漑施設建設に関わる技術的な要素について相談に乗ってくださる方々とPMS職員の顔合わせもあり、24年冬には5回目の渡航を果たし、お互いのくせ(!)も理解し合い信頼関係が出来つつあるのを肌で感じています。
さて、現地では3月10日からひと月の断食(ラマザン)が始まりました。彼らは夜明けの祈り後から夕方の祈りまでの間、食事、飲水を絶ち唾も吐き出しています。しかし病人や旅人には飲食が許されており、昨年は腎結石の治療中であった職員が断食月にそっと水だけは飲んでいました。
現地にいると職員たちがアフガニスタンの状況等を話します。中でも興味深かったことを書いてみます。
・干ばつが厳しく、アフガニスタンでは年々小麦の生産量が落ちてきいるため、タリバン政権が小麦の輸出を禁じた。同じように干ばつに被災している隣国パキスタンでは小麦の価格が高いため、ある大地主たちがこっそり輸出しようと国境まで輸送していた。しかしタリバン兵に見つかり、その小麦は周辺の村々に配られた。
・現暫定政権の兵隊たちはこれまで戦うことが主で、学校に行くことが出来なかったので、現在学校に通い学習をしている。
他にもいろいろありますが、追々お話して行きたいとおもいます。
各活動の報告です。
PMS支援室の各担当者が写真で報告をしていますので合わせてご覧ください。
●ダラエヌール診療所 (1991年~)
昨年、トイレの配水管が壊れたことを機に全体の排水システムの改修と検査室や処置室、薬局、助産所等の改修も合わせて行いましたので、職員たちは快適に地域診療に力を注いでいます。助産やワクチン、結核の診療も合わせて行っているので、手狭になってきました。今年からハンセン病の診療も小規模で再開する予定です。ペシャワール時代から共に働いてきた医師、看護師、検査技師らが次の世代へ技術を伝えてゆくのも大切な役割です。ダラエヌール診療所はジャララバード事務所からやや離れた農村部にあるため、滞在中しばしば訪問は叶いません、できる限り彼らと直接話しをするように心がけています。
●バラコット用水路 工期2022年10月―2024年3月末
3月には農地への送水路が完成し、植樹への水やりを残して31日に完工。
昨年は麦をばら蒔きした農地もあれば、今年2月、3月で柿や柑橘を植え付けたところもあった。私たちが滞在していた2月半ば頃にしとしとと数日かけて雨が降り、既存の農地には水やりの必要がなく、河川水は全て貯水池に溜め、余水を大池にも流していた。この様子を目にするとこの荒野が作物で青々としてくるのに時間はかからないなあと感じた。
バラコット灌漑施設の特徴は、【1】水の少ない小河川からの取水に、用水路の途中で湧水を取り入れていること。【2】用水路の末端に小貯水池を建設し、更にこの池からやや離れた谷状の台地に大貯水池を建設したこと。大池には降雨や小池の余水が送水され貯水し灌漑に使われる。大池は素掘りで地下水の涵養源となる。
●タンギートークチー用水路の改修 工期:2023年10月―2024年2月
ナンガラハル州知事をはじめ経済、農業、灌漑局長らに依頼されて、緊急工事として昨年10月に着工。
22年の大洪水を受け砂州の移動によりクナール河の河道が国道に寄りつき、国道に沿って埋め込まれていた用水路の土管が倒壊していました。裨益地では15,100家族が影響を受けること、またアフガン東部のジャララバードから首都カーブルへ繋ぐ重要な国道が崩壊しかけているとのことで、必死の歎願であった。
PMSでは初めてクレーン車をレンタルし、土管を移動し基礎工事後再度土管を埋め込み、用水路と国道保護のため通常のPMS方式で護岸工事を行い2月末に工事を終了した。
●マルワリードⅠ堰・用水路改修 工期:2019年11月―2024年12月
4年間の工期で始められた改修工事は、最大の工事となる取水門間口の増設とコンクリート製土砂吐き=可動堰の工事を昨年10月に開始した。中村先生方式で農地へ送水しながらの工事はお手のもの。今年2月には完成したが、今夏の洪水期を経て土砂の堆積の様子を観察し、固定堰(石堰部)に土砂吐きを追加するかを考える。
●ミラーン堰
ミラーン堰は3つの砂州を石堰とコンクリート製土砂吐きでつないだ404mの長い堰である。
2022年8月の大洪水でクナール河の河道の変化あり。洪水前のクナール河水量は、取水門への河道と堰の背面の河道に其々25%、堰背面の流れの対岸砂州の左岸へ50%だった。しかし洪水後には堰の背面にクナール河の全水量に近い流れが発生し、堰を背面から洗堀。23年10月18日に堰背面を観察すると、中村先生が砂州の固定のために初めて取り入れた「剣山粗朶柵工」が洗堀面にかろうじてぶら下がっている箇所も見られた。このままの状態で今夏の洪水期を迎えると堰自体が危機に陥ると判断し、今冬工事が開始された。現在クナール河の増水とにらめっこしながら堰の改修工事が進められている。
●新規事業 ナージアン堰・モラヘイル用水路計画
工期:2024年4月~2026年9月 (2年半)
水源:スピンガル山脈
裨益地:約400ヘクタール
コットと同様に河川水は少なく、カレーズ(地下水)の利用でかろうじて灌漑が出来ているが、時折流れ下る洪水が農地へ流入している。
本工事では、流れ下る洪水は取り込まれ溜池に導水される。また利用可能な湧水も存在し取水量を安定させ灌漑を可能にする。
●農業 ガンベリ農場
干ばつ地での普及を考えている「さつまいも」は昨年510キロ程の収穫があった。種芋の彼らの工夫により成功している。2月中頃に農業担当のアジマルジャンたちと種芋の伏せ込み作業を行った。3月に発芽が見られ今年は大量のツルが取れることを期待している。
私たちは4月15日からアフガニスタンへ向かいます。
次回は現地からの報告をしたいと思います。
引き続きご支援を賜りますようお願い申し上げます。
PMS支援室 藤田千代子
2024年4月12日
2024年4月12日
以下、写真報告(作成者)
P1-P6 籾井
P7-P19 赤澤
P20-P30 山下
▼3月14日までのクナール河の水位グラフ(赤線)。2023年11月中旬から2024年1月下旬まで降雨がなく、6年間で最も低く推移している。2月19日と3月1日~3日にまとまった雨が降ったが、クナール河の水量の変化は見られなかった。
KUNAR RIVER HYDROGRAPH (Flow = CUM/sec)

▼1月~3月
アフガニスタン滞在
村上会長を初め、技術支援チーム、PMS支援室、ペシャワール会事務員の計8名が1月中旬アフガニスタンに入国、PMS支援室員は3月上旬まで現地に滞在した。写真はドクターサーブ ナカムラ記念塔の前で一同に会するPMS職員とペシャワール会メンバー。

▼村上PMS総院長の計らいで、ペシャワール会からPMS職員全員に食事が振る舞われた。持ち場を離れられない門衛などの職員を除き、80人ほどが一堂に会し、ご馳走を囲んだ。2024年1月25日

▼新規灌漑事業の候補地であったイスラムダラの現場調査を行う一同。2024年1月27日

▼バラコット堰での土砂吐き造成について、話し合いを行うエンジニアたち。2024年1月21日

▼滞在最終日前日。医療、灌漑、農業のスタッフ全員で完成間近のバラコットの現場を訪問。医療、農業スタッフの多くは同工事現場を見るのは、初めてで技師達の説明を興味深く聞いていた。写真は取水門にて農業スタッフのベラ ジャンを中心に、笑顔で語りあう一幕。2024年3月4日

▼ついに1年半の工期を終える。完工を目前に控え、PMSの全セクション(灌漑・農業・医療・事務所スタッフ)、日本より訪問中だったPMS支援室員が集まり、皆で喜びを分かち合った。 2024年3月4日

▼昨年末より試験的に用水路の通水が始まっており、その水を頼りに、村人達は灌漑エリアとなる渇いた大地に麦を撒いた。2024年1月1日

▼一般的にはもう少し早い時期に麦撒きを行うため今年の収穫が叶うかは分からないが、早速芽吹いている様子には大きな希望を抱かされる。茶褐色の大地が、うっすらと緑に覆われてきた。2024年3月20日

▼取水点から用水路末端まで全体像を辿る

▼取水点から用水路末端まで全体像を辿る

▼取水点から用水路末端まで全体像を辿る

▼完工と言っても、これから経過観察期間である。用水路の床や壁がひび割れてくる可能性も大きく、注視していきたい。
写真は石工・大工のカーヘルさん。ひび割れの補修までこなす、頼もしいPMS職員。工事責任者である技師たちが現場を離れている間もこのような人材によって多くの仕事が取り仕切られており、中村先生からは「陰の立役者」と称されていた。2024年3月21日

▼この地域ではアーモンドの木が有名で、用水路沿いにも植樹している。完工直前に、めでたく花をつけた。桜の花にそっくりだ。2024年3月23日

▼ここ数年の洪水の影響もあってクナール河の主流が大きく変わってしまい、堰を成している砂州が洗掘されるようになった。このままでは崩壊しかねない。今冬の早急の対策として、河道整備と砂州の補強を行う事となった。2023年12月28日

▼悪さをしている現在の主流を抑えるために、対岸の砂州に開削路をつくり、そちらに流れを導く。大まかな工程は、昨年12月にタンギートークチーで行った、岸側に寄り付いてしまった流れを河道中央側に導く工事と同じ要領だ。2024年2月21日



▼灌漑部門の責任者であるディダール技師(中央)とファヒーム技師(左)が、この現場を担当する若手のワヒドゥラー技師(右)を指導する。2024年2月4日

▼マルワリード堰改修事業。取水門増設、土砂吐き新設工事などが2023年10月より行われていた。2024年2月4日に無事完了。写真は2023年11月5日、コンクリート製土砂吐き設置のための基礎工事の様子。

▼3門から5門に増設された取水門。2010年のマルワリード堰完成から人口と耕作地が著しく増えているため、取水量の増加を図る。2024年2月14日

▼拡幅された取水門。取水門増設に伴い、用水路も50mにわたって拡幅された。2024年2月14日

▼ガンベリ農場の牛舎。冬場は暖かい昼間に外に放され、夏場は涼しい夜に放されている。毎日80L以上の牛乳を提供してくれる。40頭以上の牛を飼育するには手狭になってきた。2024年1月30日

▼お茶を沸かす作業員。昼食に先立ち、交代で一人が仲間の分も沸かすのだ。2024年2月17日

▼ナツメヤシ園(右下)は年々収穫量を伸ばしている。写真(左上)は育苗場。株を増やすため、ナツメヤシの新芽が切り取られ植えられた。ある程度成長するとナツメヤシ園に戻される。2024年2月17日

▼玉ねぎの植え付け。PMSは毎年、収穫のための玉ねぎ畑のほかに種採取のための玉ねぎ畑を準備している。(左上)玉ねぎを半分にスライスした断面から5.6本の新芽が生えている。(右上)芽を一つずつカットする。(左下)芽の植え付け。(右下)植え付けを終えた玉ねぎ畑。2024年2月17日

▼サツマイモの試験栽培も継続中。(左上)サツマイモの伏せ込みをするアジュマルジャンらとPMS支援室。(右上)アジュマルジャンたちが保管していた種芋はすでに芽が出ているものもあった。(左下)伏せ込みの上からもみ殻を被せ、水を撒いていく。(右下)ビニールを被せ完成。2024年2月18日

▼ガンベリ公園は全国から多くの人がピクニックや観光で訪れており、現在の広さ(1ヘクタール)では心もとなくなってきた。数年をかけ写真(右下)の赤枠部分を拡張し、ドクターサーブ ナカムラ記念塔を中心に2ヘクタールの公園に増築予定。拡張された1ヘクタールは主に女性たちの憩いの場となる。

▼生長に時間がかかるため、拡張に先んじて植樹を行なっている。公園で女性たちが安心してくつろげるよう、高木と低木を交互に植え、外から見えないよう樹木の壁を造成中。2024年2月20日

▼ガンベリに花々が春の訪れを告げる。2024年3月26日
