Top» 事務局からのお知らせ» 掲載日:2025.10.2 (2)
2025年9月23日~
10月1日の報告
① ナンガラハル州ダラエヌール上流のスータン村の被災家族への支援
② その次にクナール州のワディールダラ上流の高地アレクとシェマッシュの2つの集落への道路の整備
を計画して動きました。
支援計画① スータン村への再支援
9月23日、調査のためスータン村に向かったが、スータン村に入ろうとする直前に、ラマテック村とマジガンドン村を偶然発見した。そこはこれまで全く調査も支援もされていないことが分かり急遽1チームはこの2カ村の調査に入った。他の被災地と同様に家屋の倒壊が激しく困っている地域の一つであった。住民たちは急峻な山の斜面に貼り付くように階段状に連なる家屋に居住している。地震時の落石や崖崩れにより連なっている家々がズルズルと崩れ落ちて行く現象が起きていた。また、本震やその後の余震も縦揺れが多く、外壁は残っているが泥土で作られた屋根がそのままドスンと落下した家屋も多く、家の中に入って見て初めて被害の大きさが分かる所が多かった。
散在する村落を巡るのは危険を伴う。PMSの調査メンバーは調査をしながら何度も恐怖を感じたが、「誰も行かないならPMSが、誰もしないならPMSがしよう」とのドクターサーブ ナカムラの言葉を思い出しながら進んだと、報告した。
彼らの努力により実際の被災状況を確認して100家族へ配給カードが手渡され、スータン村と合わせて200家族への支援物資の配給作業が翌日24日に実施された。配給時に立ち会ったダラエヌール郡長には、村々からの感謝が伝えられていると同時にテントの要求が多数届いており、もし支援が継続されるならテントの支援をお願いしたいと告げられた。調査に村へ入った職員たちも、配給当日私たちも村人たちから「余震が続いているため夜間は畑に寝ているが、冷え込む上に時に雨も降る。そのたびに恐怖と寒さのため子供たちや女性たちが泣いている」との話を何度も聞いた。私たちが生活をしているジャララバードでも9月中頃から朝方は冷え込み(今年は冷え込みが早く訪れた感がある)現在では扇風機が要らなくなった。標高1,000m以上あるスータン村方面の冷え込みはジャララバードの比ではないだろう。
この度の地震の震源地が隣のクナール州であることから、国内・国際支援のほとんどが同州の被災地や避難キャンプのヌールガル避難キャンプやICRC(国際赤十字)やUAEが支援する避難キャンプへ届けられており、ナンガラハル州の最北部に位置し震源地に隣接しているダラエヌール渓谷の奥地の被災地は目につきにくく他の地域より支援が随分遅れている状態で、避難キャンプの設置もない。
支援計画② アレクとシェマッシュの集落への道路の整備
PMSはダラエヌール上流での配給作業を終えた翌日の25日、次の支援計画であるアレク、シェマッシュの集落への道路整備を進めるためPMSのエンジニア達は調査に向かった。
調査から戻った彼らの報告は嬉しい知らせであった。
PMSが計画していた道路の整備が他の支援団体により始まっていたのだ。国連や赤十字の支援ではないかとのこと。既存の道路は山の中腹の斜面を切り開いて敷設されているため、整備工事が危険であることから、谷あいを流れる川や畑沿いに建設が始められて数日経過していた。PMSの調査団は、アレクとシェマッシュの両地への建設現場を確認してジャララバードへ戻ってきた。
彼らの報告を受け数日かけて協議を重ねた結果、ダラエヌール上流の更に奥地で毎日寒さと余震の恐怖の中にいる被災地に支援を集中することを決定した。テントを配給するならとにかく急がなければならない。早速29日、卸業者との交渉、買い付けが始まった。一方、郡長より少なくともテント3,000張は必要になるだろうと聞いていたため、資金が心配になり懸命に計算した。少なくとも寒さをしのげるしっかりしたテントが要る。
この間に、テントの配給は郡の行政が実施するので庁舎に届けるようにとの連絡が届いた。急ぎ ジア医師、ハフィズラー医師、エンジニアが郡長を訪ね、PMSは独自で調査することが通常であり、被災者にも手渡しで配給している事を説明して今回のテントの支援も同様のやり方を求めた。説明の中に「PMSは日本の人々からの支援金で物資を配給しているため、被災地の村人の窮状を写真や映像で報告することが求められている」ことも加えた。PMSが日本から資金を預かりこの方法を厳守するのは、数十年という長い間、様々な支援の在り方を見てきた結果である。
郡長は調査に郡の役人を同行させることを条件にPMSの申し出を全面的に承諾した。30日、郡の作成による各村に必要なテント数が記載された書類を受け取った。
10月1日(水)、早朝にハフィズラー医師やファヒーム技師を筆頭に総勢20名が調査のためダラエヌール上流へ向かった。29日から電話での通信が不可能であるためチーム同士の打ち合わせが前夜密に行われた。
インターネットと電話通信が予告なしに停止
9月29日夕方5時頃、インターネットと電話通信が予告なしに突然停止された。
前回17日からのインターネットの停止時とは違い、今回は電話回線も首都カブールを含み全国的に停止状態となり、ジャララバード事務所と各現場との通信はおろか職員間、家族との連絡も全く不可能となった。家族と遠く離れて事務所に住み込みで働く職員たちは私たち日本人が考えるよりずっと頻繁に家族と連絡を取り合っている。それが突然断絶したため故郷で病気の母親や子供を持つ職員は心配しておろおろしている。私たちも日本への連絡が途絶えた。
本日10月1日夕方数社の電話回線が復旧した。しばらくしてネットもかなり弱い状態ではあるが回復。今回丸二日間の通信の断絶の理由は明らかになっていないが、この二日間職員間やラジオ放送で話されていた“理由”は山ほどあり、昔から言われているようにアフガニスタンには根強い口コミ(伝聞)の世界があることを実感した。