Top» 事務局からのお知らせ» 掲載日:2025.12.15

震災支援
厳冬期に向け子どもたちに防寒具を配布

2025年12月14日
PMS総院長 村上優
*画像データあり


▲マドラサにて防寒着手渡し2025.12.11

はじめに
 12月6日よりジャララバードに第11次訪問団5名が入った。主なミッションは、既設の用水路、およびこれからの用水路に関する視察と協議、中村医師記念ハンセン病センター(Dr.Nakamura Memorial Center for Hansen’s Disease)の開所式(11月1日にスタートしている)、そして震災支援の視察である。8月31日(日本時間9月1日)の震災直後には食糧や毛布などの生活支援を、1カ月後には仮設住居となるテントの配布を行なった。そして今回、厳冬期に向けて1万2千人の子どもたちに防寒具を配布することを決定、支援総額は90万ドルとなった。いずれも支援が行き届かないナンガラハル州のダラエヌール渓谷近辺の村々への支給である(隣のクナール州の多くの地域には他の機関の支援が入っている)。村々の復興は遅々としているものの、住民は自宅の近くで田畑の管理を含め復興に向けて歩み始めている。以下、支援の一端を報告する。

12月11日、女子小学校での配布
 防寒具(ジャンパー)の配布に同行する。ダラエヌール診療所の少し下流域のアムラ村の女子小学校と上流域のマドラサ(モスクに付属する学校)に出向く。

 女子小学校の真向かいには狭い道をはさんで男子小学校もある。女子小学校の生徒数は事前調査により1178人であることが把握されていた。当日は学校名簿と照合して一人一人に重複がないよう手渡しで配布していく。私たちのグループとは別の配布グループもあり、前日には14校、今日は20校の予定で早朝より出発して配布が始まっていた。渓谷筋で合計34校だから児童数は少ないかと思いきや、アムラの女子小学校1校でこの数である。課題は登録ができていない子どもがいることで、特に最近パキスタンから強制帰還させられた難民の子どもが続々とこの地域に入ってきている。アムラ村の女子小学校では難民の子どもは49名と判明していたが、登録されていない難民の子どもも来ているので、どう対応するかが課題となり、事務所で検討することにした。本来はこのような子どもたちにこそ手を差し伸べるべきなので、早急に確認しルールに則って配布したい。

 小学1年生から6年生までの女の子をまとめて見ることは、度々のアフガニスタン訪問でも初めての体験である。1年生は人懐っこく笑顔で、素直に喜んでいる姿を見ることができた。3年生までは一人一人に着せていくので時間がかかるが、親しく接する機会がないので特別な思いがする。学年が上がれば、外国人、特に男性には愛想よく振舞わない風習だから、そっけなく、すました様子の思春期の女の子がそこにいた。私事ながら、長男の孫娘は小学1年で私になついているが、近くに住む長女の孫娘は小学6年生ですこし遠慮がちになっているのを思い出す。全く異なった境遇と環境であるが、子どもの可愛らしさは共通である。学校の先生たちはこれまたさまざまで、女性教師も二人ほど見かけた。先生たちはキリリとしているが、いかにも厳しそうで小枝を振り回している。子どもたちは慣れているのだろうか、なかなか静かに言うことを聞かないのが微笑ましい。

子どもの笑顔が皆を救う
山麓の村にこの数の子どもがいることは感動的である。ダラエヌール渓谷の被災した村々で1万名を超える子どもたちに防寒具を配布すると聞いた時は実感が湧かなかったが、この子どもたちを見ると納得できた。ジア先生たちが昨日配布した学校は、車も登れない高いところにあり、配布は大変だっただろうと推測する。

 マドラサの子どもたちは男子も女子もいて、それなりに行儀がよい。人数は聞き損じたが、印象としては300~400名ほどと思われた。先生はお坊さんが兼ねているようであった。このほかにイスラム僧の修行をしている10名ほどの青年たちもいて秩序が保たれている。やはり一人一人に手渡していくが、女子小学校のような華やかさ、にぎわいはなかった。配布が終わって外に出ると、防寒具をもって家に帰る子供たちが一杯いて、嬉しそうにしている。なかには手を振る子どももいる。昼間は太陽の光で温かいが、日が陰ると急に寒くなるこの地域、これから厳冬期に向かうことを考えると、適した支援だと確信した。子どもの笑顔は皆を救うのだ。
 しかし、ここでも難民の子ども問題がある。現地のニュースを見るとイランとパキスタンから強制帰還されたアフガン人は、2025年11月に29万3千人、2025年1月からの合計は330万人となるという。干ばつ同様、重たい問題である。