2003年度の水利事業報告
及び2004年度の計画

ペシャワール会現地代表・PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
中村哲
ペシャワール会報80号より
(2004年07月07日)

飲料水源確保事業

伝統的水路沿いに植えられた柳の木
(写真はPMS作業地ではありません)

2000年7月、旱魃被害の著しかったダラエ・ヌール診療所付近に端を発した本事業は、空爆下でも休みなく続けられ、2003年6月には作業地1000カ所を超え、2004年6月現在、1200カ所に迫った。

ダラエ・ヌール下流域は、最も飲料水源に恵まれた地域となり、同地の腸管感染症は激減、住民のほとんどがパキスタンから戻った。トルハム(カイバル峠)は、給水設備をも整備、理想的な形で住民自治会の手で自主管理され、全バザール数百軒への給水が可能となった。3年前の水無し地獄を思うと今昔の感がある。

完成した井戸(アフガニスタンのアチンにて)/2004年6月


しかし、地下水位の低下、帰還難民の増加などで、他地域の水欠乏は至る所でいよいよ深刻である。今後は、最大の人口を抱える旱魃地帯、ソルフロッド郡やシェイワ郡北部、ダラエ・ヌール上流域に拡大する。かなりが再掘削をくりかえし、ボーリング掘削も増加している。

今後も活動地は旱魃の最も甚だしいニングラハル州に限定、3年以内に総数2000以上の井戸の完成を目指す。しかし、1000本の井戸の全面管理を行えば、新規掘削が不可能に陥る。そこで、2003年度は完成井戸から次々と住民への受け渡しを始めた。維持は今後、村民の自主管理を進めさせ、PMSによる直接管理から「自主管理支援」の方針を採る。

なお、灌漑用井戸、カレーズは今後、用水路と共に「灌漑計画」の一つとして述べる。  

作業地数は1,303ヶ所。うち、利用可能水源は1,197ヶ所(2004年10月現在)
  6年間の作業地の推移を見てみる »



ボーリング掘削中の井戸(アフガニスタンのアチンにて/2004年6月)

水利事業

(1)カレーズ

これまでダラエ・ヌール中下流域で38カ所の復旧を手がけ、何れも水を得ている。推定灌漑面積は約400〜500ヘクタール。しかし、今年は水量の減少が著しく、しばらく観察を続ける。

(2)灌漑井戸

2001年6月に試掘した大口径の灌漑井戸は、1本当たり25ヘクタール前後を灌漑できる。カレーズの恩恵に浴さなかったダラエ・ヌール渓谷下流域、ブディアライ村・ソレジ村では、2003年度内に11カ所を手がけ、うち9本が完成。全部で約200ヘクタール以上を潤した。今のところ著しい水位減少は見られていないが、次第に減少が予想され、かつ「地下水争い」も発生しつつあるので、急増せず、次に述べる大河川からの用水路を引いた後、再考する。

灌漑用井戸(右手の建物はポンプ小屋)。直径5mの大井戸からポンプで水を汲みだします。(アフガニスタンのダラエ・ヌールにて/2004年4月)

(3)用水路

アフガン東部で最大の川、クナール河から水を引き、ニングラハル州北部の旱魃地帯(何れもダラエ・ヌールからの水系に頼っていた地域)、クズクナール地域全体、ブディアライ村最下流域、シェイワ郡北部の約2千数百ヘクタールを一挙に潅漑する計画である。全長14キロメートル、予定流量が毎秒4〜5トン、これによって小麦・トウモロコシの二毛作が可能になった場合養い得る人口は、子供を含めると、10万人を超える。実際の着工は2003年5月13日で、紆余曲折の後、2004年3月までに取水口から2キロメートルを完成した。現在、最大の難所である次の3キロの工事に集中、ペシャワール基地病院の直轄で進められている。今夏中に完成すれば、クズクナール地域の約3分の2、約500ヘクタールが先に潤せる。

一部通水した用水路。両岸には護岸のための柳も育っています。(アフガニスタン 2004年9月)

パキスタン北西辺境州に難民として逃れていた農家は、噂を頼って徐々に帰り始めた。現在、荒廃していた家屋が潅漑予定地に続々と復活している。この水利事業に携わる作業員は、2003年度だけで延べ約14万人。大半が水の到来を待つ農民である。第一期工事14キロメートルは2004年度内に完成予定。その後は改修を重ねて、3年以内にアフガン政府と地域住民自治会に譲渡する。

職員(2004年7月現在)

水源事業職員:98名
作業員:約800名
 (うち用水路平均480名)



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