アフガンいのちの基金No.18
「やれるとこまでやる」

現地連絡員 目黒 丞(すすむ)
2001年11月01日(木)

11月1日(水曜)午後、ジア副院長がカブールよりペシャワールに到着し、現地報告と今後の展開について会議を行った。カブールの人々は「逃げ惑うか、死ぬしかない状態」だという。多くの人々が安全だといわれていたメクラヤー地域に集まっていたが、爆撃されハイハナー地域に避難した。しかしハイハナー地域も爆撃されまたメクラヤー地域に移動して行ったとの事。昼夜問わず爆撃が続いているが町から逃げ出す資金が無い人がほとんどだという。

 他に活動していた組織についてはCARE、WFP(世界食糧計画)、ICRC(国際赤十字委員会)の情報があったが、CAREは既に撤退し、WFPはカブール郊外まで物資満載のトラックが来るが、市内で見かけられず配給も行われていない。ICRCは直接の空爆被害者のみしか活動の対象にしておらず、そのため殺到した他の市民により活動を断念したという。一部では略奪もあったとの事。

 PMSのオフィスは、付近にタリバン高官やアラブ人の住居があるため危険だと判断し移動した。パキスタン人義勇兵が宿泊していた建物が正確に爆撃され27人が死亡したが、ICRCの建物が2回も爆撃され、避難した市民が集まっていただけの場所も爆撃され、市内に安全な場所は無いとの不安が広がっている。食糧配布のための調査に回っていたスタッフが立ち寄った家では、子供がナンのかけらと唐辛子だけを食べていた。ほとんどの人が食料を充分に得られていなかった。

 PMSの配給時においてタリバン当局も懸命に協力していたが、配給対象とするべき人が予想以上に多く困難だったとの事。概算でも250000家族が危険な状況にあるという。より多くの人々に配給するために、1家族あたり小麦粉200Kg食用油16リットルの計画を小麦粉100Kg食用油8リットルに変更することが提案された。

 ジア副院長の報告は生々しく凄惨なものでした。日中忙しく働いたスタッフがオフィスに戻っても空爆で家屋全体が揺れ眠れなかったそうです。それでもジア先生は「Up to we can do.(やれるとこまでやる)」と言われました。イクラムラ事務長もペシャワールからの発送のペースを上げるために、夜遅くまで業者と打ち合わせをしていました。アフガン、パキスタン側は「やれるとこまでやります」。日本側も大変だと思いますがよろしくお願いします。。


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