アフガンいのちの基金No.38
「カブール食糧配給レポート」

PMS看護部長 藤田千代子
2001年11月16日(金)



カブールでジア副院長らとともに食糧配給作業をしていたPMS薬局長の作業状況レポートが届きましたので送ります。

 配給日、たくさんの人が小麦粉と油を積んだトラックの周りに群がっていて、大変だろうと想像していたが配給場所を見て驚いた。ある所では住民が一列に並んで順番を静かに待っており、他の所ではトラックの近くに沢山集まってはいたが、騒動は全く起こらなかった。配給カードとその持ち主を確認する所と食糧を渡す所をやや離して設置した事、食糧を貰う人とそうでない人との争いが起きないように、配給する場所を受給者達の地区から離れた所に準備した事、配給作業を行ったスタッフの多くが水計画のジャララバード出身者達だったので、親戚や顔見知りがその地区にあまりおらず、平等に作業が進められた事が良かった。

 北部同盟が僅か数キロメートル迄来ていると毎日毎時ニュースを聞きながら、結局最後の配給日となった12日(月)は、どの家族に配るかという調査と配給を同時に行った。そんな中でも騒動は起こらなかった。彼やジア副院長はタリバーンの人達の協力なしにはこんなにスムーズには作業が出来なかったと話します。最初の計画通りにスタッフ達は配給を受ける家族の調査を平等にするために、カブール市を東西南北に分けて調査を行いました。それでもスタッフ達は自分達の安全を守るために、人口の多い部族の住む所を先に調査したりはした。タリバーンはこの配給計画は本当に貧しい人の手元に食糧が届いていると協力を惜しまず、また、毎晩スタッフが寝泊りしていた事務所に出向いて何か困った事はないか等と尋ねていた。

 毎晩爆撃の中にいた若いスタッフの体調が悪くなったので、ペシャワールへ連れ帰るために12日の配給作業が終ってから夕方カブールを発ち、夜中の3時にジャララバードへ着きました。ジャララバードでは、夜中に20人の住民達が国連関係の倉庫にある援助物資を狙っていたところ、門衛がタリバーンに通報し即座に逮捕されていた。
 移動診療のコーディネーターでもあるPMS薬局長は、クリニックのスタッフ交代時に薬品を各診療所に届け、クリニックの状況を観察するために、毎月アフガニスタンへ入っていてタリバーンとも接触していた。これまで彼はタリバーンの事を悪くも言わないし褒めもしていませんでしたが、今回は「タリバーンの協力がなければあんなにスムーズには行かなかっただろう」と繰り返していた。他のスタッフも同じ事を言っています。

 彼達が13日(火)夜中3時にジャララバードに着いたその明け方に、ジャララバードでは「ラーガレイ、ラーガレイ」(来た!来た!)という、さけび声と共にいっせいにバザールの店が閉められ、住民はお互いにお互いを恐れあい発砲する住民もいた。ジャララバードはその後混乱が始まり、車を持つものは車で脱出した。ジャララバード水計画事務所から連絡を受け、既に早朝にアフガニスタンへ向けて出発していた食糧運送トラックを国境のトルハムでストップしました。

 14日(水)朝、ジャララバードをパシャイー族のハザラット アリが一時的に掌握した。ハザラット アリはPMSのダラエヌールクリニックのある村の出身で、クリニックを開く時からのスタッフの知り合いでもあり、時々クリニックへも来院していた。ジア副院長がジャララバードにいるハザラット アリの部下に電話をし、PMSの山岳地での医療活動や井戸掘りや今の食糧配給活動の事を説明して、PMSの事務所や食糧倉庫の管理をしてくれるように、またハザラット アリにそのことを伝えるようにと話ました。丁度ジャララバード事務所から職員がペシャワールへ来ていたので、その職員と一緒にハザラット アリと同じダラエヌール出身のナース(看護士)をジャララバードヘ送りました。もう一人ダラエヌール出身者で、現在は目黒さんの片腕としてダラエヌールで井戸掘り活動の責任者をしている検査技師をジャララバードに向かわせる事になりました。彼はダラエヌール地区では宗教的地位の高い家系であり、ハザラット アリとも知り合いで、何しろ彼らはパシャイー族が話す言葉が話せ、10年以上ペシャワール会の活動をしているので、実情をしっかり説明できるだろうと期待しています。

 今日16日(金)には、ジャララバードを治めようとしているハザラット アリ達のグループの中でも分裂が始まっているとか、バーミヤンから武装したハザラ族1,000人がカブールへ来て、北部同盟が外務省、内務省と防衛省のポストを取った事に対して抗議している等、といろいろな情報が入って来ます。

こんな騒動の中アフガニスタンではラマダーン(断食月)が始まりました。寒さと空腹と病気に苛まれている人達が忘れられているような気がしています。弱いものいじめをして何が楽しいのかと感じます。今までの政権が圧制を強いていたとしても、食物や飲む水、住む家がないよりはその方がずっといいのではないだろうか。それともこれからの発展のために犠牲者が出るのは仕方がないというのだろうか。


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