アフガンいのちの基金No.65
「これまでの経過」

PMS看護部長 藤田千代子
2001年12月08日(土)

診療風景

11月26日にカブールで勤務している看護士より電話がありました。アメリカの空爆が始まってしばらくたった頃にクリニックのドクターがエスケープしていなくなった、その後採用された医者が1日だけ勤務していなくなったのでたいへん困っている、患者はいつものように来院してくるので自分が症状を聞いて薬を処方している状態、カブールはとても平和になっているので誰か送って欲しいと訴えました。

 その数日前にはやはりカブールで働いているもう一人の看護士より手紙が届き、それにもカーブルは安全であると書いてありました(Up to now inshallah we are fine and doing well and Sister ,Don’t worry about our life.(注)と書いてあり胸が詰まってしまった)。また、2週間の休暇を取りカブールにいる家族の所へ帰っていた私達の家の門衛が11月22日に帰って来ましたが、彼も「カブールは大丈夫だった。スタッフや住民がもう食糧配給はしないのだろうかと話していた」と言いました。

マラリア検査(病理診断)

 他の情報なども合わせて考えて11月28日PMS病院からドクターと看護士1名ずつカブールへ送る事になりました。カブールでの食糧配給も再開出来そうなので、11月13日の北部同盟がカブールへ来るぎりぎりまで食糧配給作業をしていたジャララバードの水源確保事業スタッフが12名カブールへ行きました。カブールに残っていた食糧は全部配給し終えたと報告が入っています。北部同盟がカブールに来た時ジャララバードヘ引きかえして、ジャララバードの事務所に詰めているドクターシャラフが11月25日の連絡で「カマ地区とジャララバードで患者が来て診察をしたが悪性マラリアの疑いのある人が多いように感じる」と報告をしました。

今年の夏あたりからダラエヌールやダラエピーチクリニックの診療ではマラリアの件数が増えて来ていました。6月ダラエヌールクリニックではマラリアの検査数が716件、うち抗マラリア薬を使った患者数は497名、8月は検査数810件、陽性者約300名、治療数350名、10月は検査数840件、陽性者300名でした。PMS病院では7月に中村先生の指示で爆発的に流行した時に早急に対処出来るように、抗マラリア薬を約5000名分購入しました。ドクターシャラフの報告を受け、中村先生のゴーサインでPMS病院では一斉に準備に取り掛かりました。「いのちの基金」からはハルファンというマラリア治療薬では一番高価な薬品を大人2000人分購入させて貰いました。この薬は3回服用するだけなので簡単に治療出来ますが高価なのでなかなか一般の人は買えない薬です。中村先生は弱った子供や重症の人は他の抗マラリア薬の副作用がきつくて治療を途中でやめてしまうので、こんな患者さんに使用するようにとマラリア医療チームのドクター達へ指示されました。

準備をするPMS職員、整列して待つ患者

PMS病院のスタッフは毎月のフィールドワークに慣れているせいか、今回はあっと言う間に準備が整い「すぐに医療チームをジャララバードヘ送れ」との指示を受けて3日目早朝には送り出すことが出来ました。一昨日の報告によるとカマ地区での3日間の診療ではマラリアの患者さんは思ったより少なくて、ほっとしました。しかし3日間で約800名の診療をしていました。人手不足の為、医師、検査技師、看護士それぞれ1名で構成した医療チームだったので、薬品は誰が渡しているのだろうか、受付はどうしているのだろうか、押しかける人々をどのように整理しているのだろうかと次から次へと疑問がわいて来ました。でもこのマラリア診療チームとジャララバードヘ一緒に行って数日行動を共にして帰って来た薬局長が持ってきてくれた写真を見ながら彼の説明を聞いて納得しました。 村の住民が押しかける人々を整理し、字の書ける人が受付をして、さらにスタッフの安全は自分達が守るから診療を続けて欲しいと依頼し、実際に村の人たちが気持ちよく手伝ってくれていたそうです。カマ地区での診療は7日まで行い、8日からはシェイワ地区を始めました。シェイワは1983年にもマラリアが流行した所です。

診察風景

ジャララバード市内は日に日に落ち着きを取り戻し、タリバンが撤退して北部同盟が入った後地方へ避難していた住民は帰って来ている、米国によるトーラボーラへの空爆や、12月5日米兵と地元兵がトーラボーラ付近での地上戦を始めた後ジャララバードは避難民であふれている、防衛隊長のハザラット・アリは3日前は自分で泥棒を捕まえ刑務所に収容した、また治安を乱す者が自分の配下の者であろうと厳しく処罰したり刑務所に入れた、それを見た住民や他の司令官達が恐れ静かになって行った、夜間にアラブ人が車のライトを消した車両で市内に来たりしているが誰も何のために来ているのかわからない、夜間はたいへん危険だと地元の人は言っている、国連やNGOが活動を始めているが外国人は居ない、外国人はジャーナリストのみ、とスタッフは話しました。

 パキスタンは12月17、18、19日が断食明けのイード(断食明けの大祭)になりました。アフガニスタンの私達のクリニックに勤務する人達も殆ど家族の元へ帰るので一週間ほど全クリニックを休みにします。毎月スタッフ交代時にフィールドコーディネーターでもある薬局長が薬品や地元スタッフの給料を持って行き、ペシャワールに住む交代したスタッフをパキスタンへ連れ帰るのですが、今回はいつもより大変です。パキスタンから義勇兵としてアフガニスタンへ行ったパキスタン人がアフガニスタン北部で捕虜になっていて、ローカルコマンダーが身代金を1人につき2ラック(20万ルピー)要求し、4人分が支払われたそうです。殺害されたパキスタン人もいて義勇兵を送ったパキスタン側ではパキスタンにいるペルシャ語を話す者(北部同盟兵の話すことばでパシュトウン人でない人)を捕まえるために国境付近では義勇兵を送り出した地区の人達がチェックポストを作り取調べをしています。今回薬局長はクリニックから12名のスタッフを無事に連れ帰らなくてはなりません。そのために一昨日は、病院から少し遠いある峠を観察してきました。いろいろ調べた結果その地区からは義勇兵を出していない事、他の理由からも大丈夫だろうと彼は判断しました。そして昨日アフガニスタンへ向かいました。まずカブールへ行きアフガン内クリニックの薬品を3か月分購入した後、クナールの山岳地域のクリニックに行く予定です。


 12月2日は今年4月から再開していたパキスタン側のチトラールにあるラシュトクリニックの今年最後のチームがペシャワールへ戻ってきました。地元出身の看護士も8ヶ月ぶりに会うとすっかり山の人に変わっていました。来年の春にクリニックを再開するまではまた病院でトレーニングに励んでもらいます。

 今日12月8日は、食糧配給作業やハザラット・アリ防衛隊長との交渉の為ジャララバードヘ行っていた看護士達も任務を終えて病院へ帰ってきました。ジャララバードにストックしてあった食糧の配給が終わりましたが少し状況を観察してイード後に再開しようということになりました。シャラフ医師はこれからの作業の為に周辺の様子を水源確保事業のスタッフと調べて病院へ報告する為にジャララバードに残りました。

ジア副院長は昨日カブールへ行きました。カブールの食糧配給は6日に終了したと連絡が入りました。クリニックは患者数が増えて来て100名以上を診ていて呼吸器疾患が多い、また空爆が続いているときに居なくなったドクターの代わりを雇った、今カブールは平穏な状態が続いているとの事です。ジア先生も数日内にはペシャワールへ戻る予定ですのでまた報告をします。マラリア医療チームもイード前の13日には一時ペシャワールへ戻ってくる予定です。

 どうか全スタッフがカブールの者はカブールへ、ペシャワールの者はペシャワールへ、無事に帰りイードのお祝いを家族と一緒に迎えられるようにお祈りください。



注)「今までのところ神様のおかげで、私たちは元気で順調にやっています。だからシスター、私たちの命のことは心配しないでください。」



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