アフガンいのちの基金No.80
「カーブルの街」

現地連絡員 目黒 丞
2002年01月26日(土)

ジャララバードより報告が届きました。ジャララバードは皆元気そうです。今日は病院からカーブルヘ医師が交代の為に出発しましたので、先日目黒さんのお母さんから届けられた荷物を少し持って行ってもらいました。
PMS病院看護部長 藤田千代子
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現地報告/目黒より
1月18日よりビザ取得の為にカーブルへ行ってきました。半年振りのカーブルでしたが、やはり以前とは色々な面で変化がありました。

一番目に付いたのは軍服姿の北部同盟兵士がかなり多く見られたことですが、以前のタリバンに取って代わっただけではなく、軍服自体が流行になっているようにも見えました。しかし新しい制服の兵士に混じってかなり多くの少年兵が見られました。どう見ても10代の少年が軍服を着ているのは気分の良いものではありません。

街は落ち着いておりバザールを歩くのも可能でした。政府の施設以外には銃を持った兵士はいませんでしたが、国連の治安維持軍の車が走り回っており、治安は良いものの人々は複雑そうな顔で彼らを眺めていました。いやらしく見えるほど多数のマスード将軍の写真も目に付きました。

空爆の被害についてですが、市内中心部で破壊された建物を見ましたが、9月以前から壊れている建物の方が多く廃墟の街と言う印象は変わりません。ジーパン姿の若者もいましたがほんの一部であり、多くは貧しい人々のままでした。ブルカを被っていない女性には一度も会わず、恐らくカーブルが解放されたと言うのは裕福な一部の人達だけのことでしょう。

NGOの事務所が乱立していましたが、22日の東京での会議の結果待ちとの事で殆ど活動は行われていないようでした。カーブルほど貧富の差を感じる場所も珍しいのではないかと思ってしまいます。ジャララバードから見るとまるで別の国のようです。

しかしながら気温は低いものの雪が降っておらず、私が寒いと言ってもスタッフからは「雪のないカーブルなんて暖かいぐらいだ。」と言われてしまいます。6月に比べて新たに掘られた井戸も目に付きました。このままでは次の夏も旱魃なのではないかと心配になります。
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