アフガンいのちの基金No.82
「ラールプールでの食糧配給終了」

PMS看護部長  藤田千代子
2002年02月12日(火)

トルハム国境近くのラールプールでの食糧配給が終了しました。今回はやや危険を伴う配給作業で作業監督をしているシャラフ医師が毎回の連絡で激怒していました。状況がなかなか私達に伝わらない為にシャラフ医師にペシャワールへ帰ってきてもらい報告をしてもらいました。

 配給作業や家族調査には必ず政府の治安局から警備員を派遣して貰うのですが、配給作業に入るといつもは警備員6名のところが40人程に膨れ上がり配給用の食糧を多量に要求するのだそうです。新政権後はPMSの食糧配給活動に派遣された警備員が食糧を要求した場合は少量を渡しても良いと中村先生の許可がありましたので(新政権樹立後彼達は無給で勤務についているので)、ある程度は我慢していたようですが、ますます要求が大きくなって来ています

 また、ラールプールでの配給が終わり残った食用油を事務所へ運ぼうとした時、数人が武器をトラックの運転手に向けて阻止したそうです。シャラフ医師は「もしこの食糧を取りたいなら私を殺してから持ってゆけ」とまで言い放ちました。この日の報告では、「ここには良い人間は一人としていない。みんなバッドアドミーだ!(悪い人間)」と怒鳴っていました。ラールプールの人達が残った食糧を運ばせなかった理由の一つには他の地区へ持っていかれるのが惜しいのと、運ぼうとしているPMSのスタッフが取ってしまうのではないかという不信感もあった様です。これからは配給家族分のみをペシャワールから配送してみようと決めました。

 今アフガニスタンでは悲しい事に住民がお互いに疑い合っていて、足の引っ張り合いをしており、本当に必要な家族に食糧が届けられるのだろうかと心配になります。タリバン時代、特にカーブルの悲惨な状態の家族への配給作業時はタリバン兵士達も賛同し協力していたので、PMSのスタッフ達はタリバンに対しては絶対的な信頼感があったと今も褒めちぎっています。一刻も早くアフガニスタンが安定するように祈りたいと思います。


PMS (Japan) アフガンプロジェクト
いのちの基金 食糧計画

地区名:ラールプール
配給日 家族数 1家族当たり小麦粉 1家族当たり食用油
2002.01.23 1,004家族 50Kg 5Kg
2002.01.24 1,052家族
2002.01.25 170
合計 2,226家族

備考:配給した村は以下の通り。
Sada, Khor Mahalat, Ahangaran, Deh Ganan, Jola Gan, Botyaran, Mehrab Kelai, Chonai, Baro Mahla, Cheknaor & Khawazo, Bedara, Gozi Marsangi & Gerdawi, Gul darak, Shah Kotai Bala & Payan, Banda
2002年01月23〜27日の5日間で、調査及び配給を終了した。
報告者(食糧担当):Dr. Mohad Sharaf、報告日:2002年02月12日
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