悪化する難民情勢の中、活動の原点を固守
PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス=平和医療団日本)総院長
ペシャワール会現地代表 中村哲
ペシャワール会報92号より
(2007年06月27日)
2006年度を振り返って
すっかり根づいて緑の蔭を落とす護岸の柳
皆さん、お元気でしょうか。
 いつもの暑い暑い夏がやってきました。この一年をふりかえると、随分と多くのことがありました。政情も、事業も、何から報告していいか分かりませんが、今年度は報告書をきちんとまとめるゆとりがなく、細かな点は次の会報で補いたいと存じます。

ペシャワール会の現地活動は、今年6月を以て、24年目に入った。毎年、報告書を書こうとすれば、「激動」だの、「流動的情勢」だのという表現がやたらに多い。

気がつくと、動いていたのは周りの方で、私たちが努力してきたのは、いつも出発点に帰ることであった。換言すれば、時代遅れになったということだ。また、国際的でもない。
知るのは九州とアフガン東部だけである。それでも難儀しているのだから、優れて地域的な骨董品だと云える。この4年間、用水路工事で河との戦いを通じて、特にそう思った。 だが骨董品といえども、バカにはできない。日本の古い水利施設を見ていると、過去は現在を知る無尽蔵の宝庫である。真似て良くないこともあるが、徒に進歩や改革を繰り返して失うことも多い。何だか目まぐるしくなるばかりで、本来私たちが持っていた寛容さ、律儀さ、自然との同居の知恵、人間らしさが退化しているようにさえ思われる。

「テロとの戦い」に拳を振り上げ、殺戮を繰り返すことが「進歩」だとは思わない。景気回復で貧富の差を増し、華美と精神の貧困が蔓延することが「改革」だとは信じない。この進歩改革の妖怪が、普遍的な真理のごとく、「世界の骨董国・アフガニスタン」に来襲して多くの血を流し、人々を追い詰めたのである。

戦を語り、政情を語ることにも疲れてきた。時代の流れに乗るのは、なおさら疲れる。変わらぬものは変わらないし、虚構は一時的に力を振るっても、長くは続かないからだ。 異国の人々がやってきて、改革を叫んでは血が流れ、評論と虚偽がはびこり、そして去ってゆく。しかし、確たる事実は、彼らが何を守ろうとしているのか不明だが、我々には守るべき人間としての営みがあることである。敢えて信念らしきものがあるとすれば、これに尽きる。私たちの活動をささえるものは、それ以上でもそれ以下でもない。07年度も、なおさら変わらず、仕事を続けて行きたい。

用水路の完成セレモニーで重機を操る中村医師
2006年度の概況
06年度は、戦火の拡大で始まり、アフガン難民の強制帰還の動きで締めくくられた。反政府勢力の勢いは増しており、07年6月現在、増強を続ける欧米軍兵力は4万数千名、アフガン復興が始まった2002年の1万2千に比べ、約3倍以上である。主に東部・南部で戦闘が激しく、クナール、パクティア、パクティカ、カンダハル、ザーブル、ヘラートなどの各県を併せると、毎日数十名から数百名が死亡している。現在、我々にとって最も危険なのはカーブル市内で、欧米軍に近寄るのは危険である。最近の傾向は、欧米軍および(その協力者と取られ得る)諸外国NGOに反政府側の攻撃が集中しており、組織化された動きが目立つようになった。権力闘争だけでなく、麻薬に絡む犯罪、急激な欧化政策に反発する勢力、貧困層の急増に伴う強盗、部族間の反目、これらが一体となって治安は悪化の一途をたどっている。

06年は、これにパキスタン側の大きな動きが加わり、情勢が更に混沌としてきた。ペシャワールで爆破事件が相次ぐようになり、国境ではアフガン軍とパキスタン軍が衝突、北西辺境州全体が、アフガニスタンと共に揺らいでいる。この背景は、アフガン難民の強制帰還措置。パキスタン政府は、10年以上前から進めてきた「帰還計画」を一挙に実行、北西辺境州の全難民キャンプを閉鎖、難民を対象にした教育・医療施設も活動停止させようとしている。300万人といわれるアフガン難民の中でも、貧困層が大部分で、2000年以降に発生した大旱魃で逃れた「出稼ぎ難民」が多い。帰還しても生活が保障されない状態である。

それまでタブー視されてきた北西辺境州「部族自治区」に、米軍と協力してパキスタン国軍が兵を進め、自治区住民が反旗を翻したこと。06年秋、バジョワルでは、「テロリスト攻撃」と称する米国による誤爆でモスクが空爆され、80名の死者を出した。このような事件は珍しくなくなっている。米軍に協力する政権に対して、パキスタンの一般庶民に反感が拡大していること。06年には政権の膝元であるパンジャーブ州で暴動があり、政府を震撼させた。

我々の事業も、この動きに振り回された。ことに、「難民強制帰還政策」が性急に進められた余波を受け、「難民診療機関」と目されるPMS(ペシャワール会医療サービス)基地病院も、閉鎖に追い込まれる可能性が出てきた。2007年4月、PMSの現地法人としての問題や医師・看護師の資格問題を問いただす文書が、期限付きでパキスタン政府から突然出され、現在善後策の処理に追いまくられている(詳細は次号で報告)。

しかし、医療事業を除けば、アフガン内の「緑の大地計画」は大きく進展した。「マルワリード(真珠)用水路」は第一期13キロメートルの工事を完了、第2期7キロメートルの着工が開始された。井戸事業では、2007年4月に1500ケ所を突破した。農業計画では、主食のひとつであるコメの作付け、飼料の改善など地道な努力が続けられている。
しかし、2006年度の用水路第一期工事は、2年分の精力と予算をつぎ込んで行われた総力戦であったが、2007年度に起き得る大混乱と旱魃の進行を念頭に強行したものである。今後、不測の事態を考慮しながら動かざるを得ない状態が続くと思われる。