アフガン人の握手に感じた威厳と懐かしさ
PMSワーカ(水路・灌漑計画担当) 清宮伸太
ペシャワール会報76号より
(2003年07月09日発行)
早朝6時半。中央青い服が清宮ワーカ
今、私はクナール河流域のスランプールという半沙漠地帯の真っ只中で毎日200人ものアフガニスタン人と朝夕2回握手を交わしている。現在進行中の水路プロジェクトで、約14kmに及ぶ水の通り道を手掘りで掘り続ける現地レイバー(労働者)に1人ずつ日当を手渡すためである。そんな中、私はこの「手」というものが醸し出す言葉とはまた別のメッセージを、新鮮な驚きと不思議な懐かしさと共に密かに味わっている。

「戦争、旱魃等々災難はいろいろあったし、これからもあるだろうが、私はこれまで通り、自分がしてきたことを続けていくだけさ」

幾重にも重なり合った皺が、ちょうど彼の背後に連なる岩山の肌のように長い年月を経て刻み込まれてきた手は、そう語りかけてくるように思えた。その手には、この国が辿ってきた激動の過去とは遠い場所で地に足着けて生きてきたことを象徴するかのような無骨さと抱擁感があった。またこの懐かしさは、幼い頃何度も私を包んでくれた祖父のものを即座に私に思い起こさせた。

また、ある手を握ろうとしたとき、自分の指の何本かが手に余った。見ると彼の人差し指と中指しか握れていなかった。…一体どうやって仕事したんだろう? 一体どうやって仕事したんだろう? という疑問はさておき、これも一つの完全な手の容なのだと思わされるほどの威風堂々とした、儀式とでも呼べるほどの紳士的な握手だった。

またある手を握ろうとすると、触った瞬間すぐに引っ込められた。見ると彼の掌が赤く斑点模様になっている。このような手は他にも数名見られたが、意識的にすぐに逸らしたのは彼だけだった。またある手を握るとパキポキと小気味良い音がし、こちらの手も逆に鳴らし返そうとしてくる。
ちなみにこちらの人は挨拶時、手に限らず相手の体の骨の音を鳴らすのが非常に上手い。一度慣れると癖になる習慣である。私はまだ鳴らされることしかできない。

用水路工事現場で働く人々
そしてこれが私の最も印象に残っている握手なのだが、普通、握手と同時に給与である100アフガニー紙幣を渡すのだが、ある年長者は受け取りの際、これを足元に落としてしまったのを気にもとめず、しばし私の手を握り続けていた。

断るまでもないが、これらの握手から私が抱いたイメージは全く自分の勝手な想像であり、この先、印象は全く違ったものになるかもしれない。また、日毎に怒涛のように増える彼らにこうして逐一手渡していくのも難しくなると思われる。だが、この場でこんなに沢山の「生の手」に確かに触れられたことは、生涯私の身体の記憶として残るであろう。