ペシャワールから沖縄へ【14回】
用水路建設 音上げた自称「専門家」

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事
2004年7月25日(日)
わがペシャワール会の活動が知られるにつれ、称賛が集まり、中には「国際援助の手本だ」と誤解する向きもある。しかし、私たちは「国際協力」ではなく、「地域協力」だと思っている。実際のところ、私の知るのは九州とアフガン東部、パキスタン北辺だけである。現地活動体PMS(ペシャワール会医療サービス)も、現地の「社会福祉法人」としてペシャワールに定着、合法性を得ている。

話題の集中する地域を転々とする国際団体が多いが、私たちは、対極にあると述べて間違いない。現地から「国際的動き」を見ていると、誤解と作為に満ちた認識で世界が振り回されるさまがよく分かる。

といっても、現地の私たちが「作為と誤解」から完全に自由であるわけではない。大げさに述べれば、「人為的観念と事実との相克」は、人間の永遠の課題である。本連載でしばしば紹介した用水路もそうで、苦杯の連続であった。建設開始から1年を経て振り返ると、とんでもない勘違いや、自然をなめた図上の計画が、次々とついえた失敗の過程でもあった。

用水路建設現場で働く地元の人々
用水路は全長14キロ、インダス川支流のクナール河から取水して、3,000ヘクタールの農地を回復する。言えば簡単だが、自然の大河は生き物である。最近の日本の堤防決壊による災害が物語っている。万事が計算通りにはいかない。流量、こう配、流速を計算し、水路の構造や素材を決めるが、必ず予期せぬ要因が加わって、修正に次ぐ修正。音を上げた現地技術者10数人は、ほとんど辞職して逃げ出してしまった。

仕方なく、日本の専門家に相談しながら、現地の特殊事情を考慮し、門外漢を承知で、日本と現地の伝統工法を頼りに自ら設計を行った。従って、正確な図面なども引けず、「絵図面」を描いて作業員(大半が農民)と現場監督に示す。すると、不思議なもので、字も読めない農民、左官、石工らの方がよほど事情に明るく、理解も早かった。オフィスの会議で一見説得力のある技術者の発案は、空想の産物であることが分かり、失意のうちに去ったものは数知れない。

医療も同じであるが、単に「近代技術」だけでは収まらぬものがあるのだ。仮に用水路の専門家が日本から派遣されても、賢い者なら手をつけなかったかもしれない。工事が始まったとき、取水口から5キロまでの地点が難関で、岩盤掘削や堰は、さすがに掘削機、ローダー、ダンプカーなどの重機を要したものの、ほとんどの作業はツルハシ、シャベル、ダイナマイトが頼りの人海戦術だった(オンボロの中古の重機の調達は、パキスタンとアフガニスタン中を駆けずり回って、半年以上は優にかかった)。

クナール河の上流側から見る用水路の取水口
毎日500〜600人の人々が働く様は壮観で、ピラミッドの建設もかくあったかと思わせるが、これが案外主力になった。水路幅6〜10メートル、護岸は日本で蛇籠、ふとん籠と呼ばれるものを使い、両岸には計20,000本以上の柳を植えた。

自然は黙って答えを出す。いかに計算と図面が精密であっても、人のやり方が過てば、忽ち馬脚を現す。完ぺきと思えた場所が決壊する、漏水が思わぬ場所から生ずる、豪雨が枯川を横切る水路を破壊する。いずれも当方の技術過信、未熟な測量、事情を知らぬ資材の選定など、地域の自然についての無知によるものである。

結果を性急に求める態度にも問題があった。考えれば、数カ村を潤す用水路など、かつては何世代もかけて補修を重ね、でき上がったものだ。皆が農民といえる現地の干ばつ地帯で、まさに命綱である。地域一丸となり、息長い取り組みが必要とされる。それも、自然に密着し、その恩恵と脅威と同居しながらである。必死になるのも当然だが、都市空間で占められるわが国は、その想像力が乏しくなってしまった。

報道では、いかにも日本人が大活躍しているような印象を与えるが、事実は逆で、美しい石組み工事を行い、100トンのワイヤで丈夫な蛇籠数千個を生産し、6キロを手作業で掘削し、1万発を超える爆破で岩山を貫いたのは、字も読めぬ地元住民たちである。自称「専門家」なき後、結局残って黙々と仕事を続けるのは、皮肉なことに「アフガン復興のあり方」などを決して論ぜぬ地元農民と、ダンプや重機の運転手だけである。

この一連の事業から、私は巧みな議論をますます避けるようになった。「述べて作らず、古を好む」というが、全くその通りで、数千年を経た伝統技術の成果に驚くと同時に、人のことばにまつわりつく運命的な虚構性がうっとうしくて仕方なかった。折から国際報道は、米軍の占領下、選挙と「民主化」で新時代が来るかのような錯覚を伝えていた。