ペシャワールから沖縄へ【17回】
カネか安全か

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事
2004年11月28日(日)
ペシャワール会は現地で、医療、飲料水確保、灌漑用水路建設、試験農場と、多岐にわたる活動となった。日本人ワーカーが常時20人、現地職員260人、臨時雇用者や作業員を含めると約1,000人、大所帯である。当然多忙になり、悩みも増えた。

悩みにもさまざまあって、小は資機材の値段交渉から、大は政府との交渉、その他日本人の安全性の配慮、そしてNGOの急増による職員の逃亡などである。「アフガニスタン復興」が話題になった2002年春、主にカブールに続々と大小のNGOがつめかけ、現地では破格の高給で人々が雇われ、プロジェクトがなされた。標準的な給与のPMS(ペシャワール会医療サービス)から職員たちが続々と辞職していった。悪気があるとは思えないが、外国団体は物価や庶民の暮らしをよく知らないのだ。

パキスタン、アフガニスタンともに、給与水準は日本の約20分の1、門衛の初任給が3,500ルピー(約7千円)である。ぜいたくをしなければ、7千円で一家が養えるのである。帰国する際、成田から羽田までのバス賃が3千円だから、戸惑ってしまう。
ともかく、これでは人材確保ができないと、基地病院の事務長に他団体の実情を調べてもらったところ、苦笑して帰ってきた(ちなみに、給与格差は日本より大きく、事務長や医師の給与は門衛の約10倍、高給取りと言ってよい)。

だが当の事務長いわく、「国連やNGOの運転手の給与の方が、自分よりはるかに高く、かつ仕事量はずいぶん少なかった」。わが病院の古参の職員は動揺が少なかったが、比較的新しい職員たちが高給を求めて、大量に辞職してしまった。
そこで、募集に次ぐ募集、訓練でまたおおわらわ。ところが訓練されて新技術を覚えると、すぐに逃げられる。中には外国に留学させたら、そのまま辞める者もいた。PMS病院は4つの無医地区診療所を抱えているので、交代要員を確保するのが大変である。1カ月交代の診療所勤務も行き詰まってしまった。これは医師層に多く、問題は日本に似ている。一般に医師の生活水準が高いこと、どうしても田舎の診療所勤務を嫌がって、都市に集まりたがることである。「へき地手当」などで対処してもうまくいかない。

人間にはどうしようもない性質があって、医師の場合、高給が当然と考える上、「進歩に取り残される」という強迫的な観念がある。確かに医療技術は日進月歩、「田舎でくすぶっていては、つぶしが利かない」という考えが強いのである。自分も一応医師であるから、分からぬでもないが、何だかやりきれぬ思いに陥ることがある。

医師に限らない。いわゆる教育水準が高い者ほどプライドが高く、人としての謙虚さやモラルが低いことが少なくない。待遇良く扱われ、尊敬されるのが当たり前だと思っている節がある。給与日になれば、「教育のない」一般職員は感謝してうれしそうに給与を受け取る。反対に、専門技術者や医師などは「薄給」を嘆き、不満を述べるものが多いので、会計担当は不愉快な思いをするそうである。

私が「教育」について懐疑的なのもこの点で、近代教育と人間の素朴さは反比例すると考えている。思い返せば、戦後日本の風潮が世知辛く、おうようでなくなったのは「教育熱」も一役買っていた気がする。豊かさを求めるのは人情だが、カネが欲しくなる上に、汗水流す農作業や労働など、いわゆる下積みの仕事を厭い、「進歩」と新しい変化に追いつかねばならぬという錯覚にとらわれているように見える。

結末は今の日本を考えてみるがよい。進歩や新奇さが徒にあがめられ、流行から流行を漂い、大地に着いた考えはなく、人の命さえ現実感を持つことが薄くなっている。メディアを介する「情報」に振り回され、何やら私には住みにくい世界になってしまった。

言わせてもらえば、戦後教育は経済的豊かさを求めるあまり、自然から遠ざかり、日本人らしい精神が荒廃し、最近など、海外に派兵してまで国益を守るなどという者もいる。私は人殺しをしてまでおびえて食ってゆこうとは思わない。安全とカネ社会は両立しない。そんな教育も経済も狂っているのだ。何も変化や進歩が悪いわけではないが、このごろの現地の苦労から、つい日本社会を斜めから見てしまう。