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ペシャワールから沖縄へ【18/最終回】
テロリズムという亡霊

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事 2004年12月26日(日)

▲灌漑用水路の掘削作業員たちと記念撮影。中村哲医師(左から7人目)

1984年、私がペシャワールに赴任してから、はや20年の歳月が流れた。この間の現地の激変を回顧すると、政情だけを見る限り、やり切れぬ思いにとらわれる。
78年の旧ソ連軍侵攻以来、当時はアフガン戦争のただ中であった。急進的な改革を進める共産政権は「民主化」を掲げて、「封建制の温床」たる農村伝統社会を根絶すべく、暴力的な行動に出た。農民は自ら立ち上がって銃を取り、各地で死闘が演ぜられた。これを利用したのが、「自由主義」の旗手・米国であった。莫大な武器が抵抗勢力に供与され、悲劇を倍加したのである。

2,000万人のアフガン人口のうち、200万人以上が死亡し、600万人が難民化したといわれる。ソ連そのものは88年、撤退を開始し、91年に崩壊する。その後、米国の武器支援で力を得た諸党派が乱立し、首都カブールの3分の2が破壊された。現在、国際社会が敵視する「テロ勢力」は、この経過の中で彼ら自身が意図的に育成したものである。

これは、東西ドイツ統一、旧ユーゴスラビア内戦など、冷戦下の矛盾が一挙に噴出した時期に相当する。「自由主義対共産主義」という、第二次大戦後世界を動かしてきた国際対立の構図が音をたてて崩れ、米国の一極世界支配と国際大資本の膨張が世界を席巻した。「革新対保守」という図式も意味を失い、世界中が戸惑いと不安に支配された。

しかし、それ以上の問題が現地で進行していた。都市化によるアジア的伝統社会の崩壊、欧米型国家モデルの矛盾、貧富の拡大、地球温暖化による砂漠化、イスラム世界の再編、そしてこれらによる膨大な人々の犠牲である。実にアフガンにおいて、10年後の混乱、アフガン空爆、イラク侵略など「対テロ戦争」という名の国際社会の暴力化は、あらわな形で先取りされていた。それまでの戦は意味を失い、信ずべき「正義」は死んだ。

96年に現地でタリバン政権が登場したとき、これを育成したのも米国である。そして、この国際政治ゲームにほんろうされ続けてきた現地民衆の思いは、ついに世界に届かなかった。この経緯を下から眺めてきた私たちは、世界がいかに虚像と錯覚で満ち溢れているか、骨の髄まで思い知らされたのである。

だが、そのツケは、今来ている。2001年の「9・11」以降、先進諸国は、自ら作り上げた亡霊におびえている。「対テロ戦争」とは亡霊との戦いにほかならない。

「敵」の実体はあやふやで、明瞭に識別できるテロリストは、ごくわずかだ。諸大国がおびえるのは、テロの背景に、えたいの知れぬ膨大な支持者があり、「殺らなければ殺られる」という恐怖があるからである。その様は、屈強の者が錯乱して、虚空に剣を振り回すのに似ている。だが、もう血で血を洗う抗争はまっぴらだ。誤解を承知で述べれば、テロに訴えざるを得ないほど追い詰められた者の言い分にも、耳を傾けることがあってもよい。戦争という強者の国家暴力を必要悪だと思い込むのは、テロリズム以上に危険である。明らかに日本は持たなくともよい敵を作り出している。

かつては日本人であるが故に命拾いし、今や同じ理由で標的となる。この事実が雄弁である。政治指導者たちの責任はいずれ問われよう。
私たちは余り簡単に、平和と戦争を語りすぎた。戦までして守らねばならぬものとは何か。過去、それは経済的動機であったり、不遜な優越感や過剰な防衛心であった。分を超えた人の欲望や不安が束となり、集団として動き始めると、手に負えない。狂気でさえ常態として肯定される。だから、繁栄と戦争、豊かさと不安が、同居するのだ。そして、「繁栄」とは常に弱者の犠牲の上に築かれてきた。

だが、剣で立つ者は剣で倒される。他の命をいたわらぬ者は、己の命も粗末にする。
日本で年間3万5000人の自殺、増え続ける殺人事件は、自分に向けた刃なのかも知れない。諸般の事情を眺めると、われわれはまぎれもなくひとつの時代の終えんを生きている。

今私たちが問うべきは、「何をすべきか」ではなく、「何をすべきでないか」である。破局への不安に駆られて、お手軽な享楽への逃避や、一見権威ある声に欺かれてはならない。人として最低限、何を守り、何を守らなくて良いのか、何を失い、何を失うべきでないのか、静かに問うべき時だと思われる。敵は自分の内にある。これが、20年の結論である。