ペシャワールから沖縄へ【4回】
井堰・ため池に着手 〜灌漑と治水に挑む〜

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事
2003年4月27日(日)
ダラエヌールの試験場から臨む山々/2002年12月15日
アフガニスタンは今、米軍の攻撃に加えて、干ばつであえいでいる。人口の半分に当たる1,200万人が被災、400万人が飢餓線上、100万人が餓死線上にあり、家畜の9割が死滅したといわれる(2000年6月、WHO)。パキスタンに逃れた難民・200万人という数字が雄弁である。

図らずも「アフガン空爆」で、ペシャワール会がこの実態を訴える機会があった。本当は戦争どころではなく、「生きること」そのものが問題だったのである。その後の「復興支援」の成果はともかく、この事態はほとんど変わっていない。当然、「帰還難民」は、大半が国外へ再び出てゆく。

PMS(ペシャワール会医療サービス)が現在、最も力を注いでいるのが、この干ばつ対策である。乾燥地帯であるアフガニスタンで、9割を占める農民・遊牧民たちの生存を可能にしてきたのは、世界の屋根・ヒンズークッシュ山脈の白い万年雪である。冬に積もる雪が夏に解け出し、川沿いに沃野(よくや)を提供する。いわば巨大な貯水槽である。

だが今、この白雪が次第に消えている。地球温暖化で、暖かくなると一挙に鉄砲水のように解け下り、大地が干上がってしまう。砂漠化が確実に進行している。
そこで私たちは、井堰(いせき)・ため池など、日本式の水利事業に着手した。自分が日本人だからではない。現地と日本は、自然条件と治水対策が非常に似た点があるからだ。「治水」とは、洪水対策だけでなく、灌漑(かんがい)・水利事業一般を兼ねるもので、英訳できない。

日本は降雨量が格段に多い。だが、米作を中心とする農業で両者は共通している。米作は、夏から初秋まで、一定の水量を田に張らないと成り立たない。日本では、梅雨と台風時の洪水を防ぐとともに、これを貯水して乾期の秋につなげることが大きな課題であった。

私たちの先祖が千数百年をかけ、営々と築き上げてきたものが、現在各地で無数に見られる井堰・ため池・堤である。大河の水を利用できる地域が限られ、急しゅんな地形、無数の小渓谷と小河川、一定時期に集中する降雨、これらはアフガニスタンも同じである。

ところが日本で、水理工学の専門家筋に尋ねたところ、現在わが国では、都市用水、工業用水、防災が主流で、灌漑など農業土木の技術は廃れつつあるのだという。さらに、農業土木の基本技術は江戸時代に完成し、明治以降はそれを引き継いだものらしい。

例えば、護岸工事に使われた「蛇籠(じゃかご)」がある。かつては長い竹の籠に石を詰め、これを岸辺に並べて水圧を防いだ。また、熟練した石工たちが、用水路の壁面工事や眼鏡橋の建設で大活躍した。よく見る堤なども、江戸時代、戦国時代に造られた古いものがいまだに現役である。

結局、私たちが採用したのは、現地の技術である。アフガニスタンでは石工が健在であるし、鉄線で蛇籠を作る職人もいる。水路掘削なども、大抵の土木機械が現地で維持できないので、つるはしやシャベルでの人海戦術に落ち着いた。つまりは、すべて地元の素材と技術を基礎に、昔の日本の農業土木の復元を図るようなものである。

帰国中は、近くの堤や、川筋を熱心に散歩して、昔から残っている工法を調べた。調べるほどに、見事だとしか言いようがない。無駄なく自然の生態系に溶け込んで、他の生物たちと共存している。堤は養魚地でもあるし、周囲に植えられた落葉樹の森は豊富な有機質の腐葉土を作る。石垣は、魚や動物たちのすみかを提供する。

だが今、あらためて田舎の風景を見ていると、何やら寒々とした気持ちに襲われる。日本中の小川がコンクリートで固められて、どぶ川に近いものも少なくない。田んぼが宅地に転用され、無用なまでの砂防ダムが至る所に見られる。魚、カニ、カエル、アメンボなどの水生動物は絶滅にひんし、日本農業の衰退を告げている。

スーパーマーケットに行くと、きれいにパックされた輸入食品が、これがグローバル化の恩恵だといわんばかりに並んでいる。何やら遠いアフガニスタンが、旧(ふる)き良き日本への郷愁をかきたてるようで仕方なかった。