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ペシャワールから沖縄へ【7】
元略奪者が治安責任者に

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事 2003年9月28日(日)

先日、ビザ延長手続きのため、ジャララバードの内務省・治安担当者に会って、あっと驚いた。タリバン政権崩壊直後の一年半前、私たちPMS(ペシャワール会医療サービス)が食糧配給をしていたころ、北部同盟の兵士の略奪に悩まされた。さんざん彼らとわたりあったあげくに当方が負傷者を出し、配給を中止したが、何とこの略奪者の頭目が治安を守る責任者になっているのだ。

この人物は現アフガン政府の有力閣僚、ハザラテ・アリーの直参の部下で、30歳前後、乱暴者で聞こえた男である。おまけに、この治安担当官殿は大混乱の渦中、米軍を利用して政敵を空爆させ、ちゃっかりと政治的地位を固めた。

勝てば官軍、当方は負けた旧タリバン政権の保護下で活動していたから、意地悪な仕打ちを心配していた。だが会ってみると、案外気のいい男で、逆にお褒めの言葉をいただいた上、破格の便宜を図ってくれた。
初めはお互いに気まずい雰囲気だったから、「その折は、お世話になり…」と切り出すと、向こうも照れくさそうに「新しい仕事も結構大変で…」と話をそらし、和やかに話が進んだ。

当時の略奪の様はすさまじいもので、わが職員が守っていたPMSとデンマーク系のNGO(非政府組織)以外は全て、国連組織、外国NGO、国際赤十字、ユニセフもみな、跡形もないくらいに見事に物がなくなった。家具はもちろん、窓ガラスまで持ち去られたところを見ると、略奪する側も相当困っていたらしい。
この一団はパシャイ部族という少数山岳民族で、北部同盟に属していた。一方、PMSのダラエ・ヌール診療所も同民族の地域にあり、干ばつ対策、医療活動の中心になっている。

この元略奪者=現治安担当官殿に聞けば、自宅が診療所の近くだそうだ。もちろん、パシャイ族の親族がPMS職員の中にもいて、親近感を持ったらしい。村の様子、最近の灌漑計画など、話が弾んだ。
きこりから身を立てた彼は、一躍成り金になって、ダラエ・ヌール下流に大きな邸宅を造っている。邸宅といっても実は長い塀に囲まれたコロニーである。一族はローガル州の山奥にいて、干ばつが厳しく生活できなくなり、PMSの水事業で潤う地域に移住させようとしているらしい。

彼が新築の家を造っている同地域は、実質的にシェイワ郡・パシュトゥン部族地区自治会(ジルガ)の影響下にあるが、この場所はパシュトゥン部族とパシャイ部族が交ざり合う所なので、タリバン協力者だったジルガも黙認している。主義主張よりも、血縁地縁のきずなで平和に暮らす方が重要なのだ。

今はパシュトゥン部族もパシャイ部族も、仲良く用水路建設に協力している。働けば日当がもらえるから、傭兵で危険な目にあったり、略奪したりせずにすむ。おまけに水がくれば、一挙両得、自分で食えるようになる。殺すのも殺されるのも、実は嫌なのである。
▲用水路建設の現場

純粋な思想家や政治活動家にすれば、「無節操だ、八百長だ」ということになるが、主義なるものは、文字通り「食えない」。人の発明した架空のものとは次元が異なる別の原理で、人々は動く。こちらの方がよほど人間的な温かみがあり、私は気に入っている。

折から、「自由と民主主義」を叫ぶ米英と外国軍、国際団体は、誰が敵やら分からず、おちおち地上を歩けない。空中だけを舞うヘリコプターが何やら象徴的で、哀れにも思えてきて、しかたなかった。