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ペシャワールから沖縄へ【8】
人々の生活壊し、欲望刺激した復興支援

中村 哲
沖縄タイムス 寄稿記事 2003年9月28日(日)

この報告をアフガニスタンの山中から送ります。9月22日、ついに沖縄ピースクリニックの開所を行った。2002年5月着工以来1年4カ月である。開所式前に、日本から訪問を希望する者も少なからず、大きなセレモニーを期待する向きもあった。
▲沖縄ピースクリニックの開所式で挨拶をする中村医師

前日に突然、開所式を住民に通告して行ったのは訳があった。アフガニスタンの現状が日本にあまりに知られていなかったのだ。診療所のあるクナール州は現在米軍の活動が最も活発な地域で、米軍はもちろん、国連や外国NGO(非政府組織)も狙われるようになって、「復興支援」は完全に停止していた。路上に外国人集団とおぼしき者がおれば、米軍傘下の組織ととられ、ゲリラ組織の格好の標的になる。住民にとっても、外国人が死ねば大きなニュースとなり、迷惑である。

この事情はなかなか分かってもらえないが、これ以上延期すれば信頼にかかわるし、ぞろぞろと観光団ととられかねない報道陣を連れては行けない。そこで、現地の腹心の者だけを伴い、米兵の監視をすり抜けるように現場に赴かざるを得なかったのである。

開所式には、ターバンを巻いた同地の長老会メンバー約30人、PMS(ペシャワール会医療サービス)診療所の職員15人が列席し、厳かに行われた。新しく任命された郡長が武装兵とともに駆けつけ、さらににぎやかな式となった。

1991~92年にかけて設立されたアフガン東部のPMS各診療所は、何事もなく運営されていた。山々も木々も、そうそうと流れる渓谷のせせらぎも変わらなかった。変わったのは、一部の村人の態度である。昨年の「アフガン復興・東京会議」の影響が影を落としていた。長老の1人が、賛辞を読み上げたが、まるで要望書ともとれるもので、「病院設備を充実し、ワクチン接種、女性診療員を送り、地域の医療センターとせよ、村の水力発電所からくる電気代は1カ月だけ免除する」というものだった。

これは実は、一部の者の発言だったが、以前には考えられなかったことである。長老たちの間にどよめきが起こり、「今そんなことを言わなくとも」と述べる者さえいる。座が白けかけたところを、郡長が制してしかりつけるように言った。

「わしは、権力を持つ1人の役人としてではなく、1人のパシュトゥン人同郷者として言う。こんな田舎に、誰が診療所を開けたか。あの12年前の戦乱のさなか、アフガン人の誰もが来なかったのだ。今でもそうだ。カブールから誰が来たか。バーミヤンから誰が来たか。このジャパーニー(日本人)が来ただけだ。私はかつて難民時代、外国人の土木公団で働いたことがある。その時、外国人の上司は決して現場に来ることはなかった。あいさつでさえ、服の上からするだけだった。だが、見よ。誰も寄りつかぬこの場所に、この院長自らがおられるのだ」

ここでは勇気が何よりも徳である。彼に明確な反米意識や宗教意識があるわけではなかった。むしろ、反タリバン新政権下で、新秩序を立てる立場にあった。ここはやはりアフガニスタンなのだと思った。
後で感謝を述べ、来年の総選挙のことを尋ねると、「個人的な意見ですが」と断って、述べた。

「デモクラシー?爆撃してまで実現する価値のあるものですかい? それで皆が幸せになるなら、どうして先進国で犯罪や自殺が絶えないんですかい? わしらは自分の国で平和に暮らしたいだけなんだ。みな本音は、タリバンの代わりにデモクラシーが来たと思ってるだけだ」

明快な答えである。折からカブールのBBC放送は、アフガン東部の反政府勢力の蜂起を伝え続けていた。誰もが国際援助の宣伝に飽き、政治に畏敬を抱くものはなかった。「何にも変わりはしない。しかし、変わらないで良いこともあるんだ」と述べた1人の長老の言葉を反芻する。

確かにここは文明の辺境(フロンティア)だ。だがそれは、向こうで勝手に決めたフロンティア(前線)であって、こちら側では迷惑な話であった。「復興支援」は、人々の生活を壊し、欲望を刺激しただけだったのかもしれない。人の幸せとは、実は別のところにあるのだろう。