冬の気配
―ペシャワールより―
PMSワーカー M.S.
2004年11月9日(火)
PMS病院の中庭
ペシャワールに早くも冬の気配が迫ってきた。

毎朝自室の部屋の温度を見ているが、11月に入ってからは21度ぐらいである。大陸性気候というのは、いったん下がり出すと日々寒さが募っていくように思える。

これは家屋の構造にも大きな理由があるようだ。私達が住んでいるペシャワールのスタッフハウスは、日本人の感覚では大邸宅で、天井の高い2階建ての建物である。共有の食堂、リビング、広い吹き抜けのスペースにバス・トイレ付の個室が8つある。私はその内の南に張り出すような2階1室を使わせてもらっている。

この部屋、南は上から下まで造り付けの棚と小さな高窓のあるバスルーム、東は壁。西側にたっぷりした窓とちいさなベランダがあるが、太陽の光が差し込むのは夕方のほんの一刻だけである。立派な庇がドーンと突き出ているからだ。外はお日様ぽかぽか のいい季節なのだが、部屋の中は昼になっても一向に温度は上がらない。21度のままである。まだ冬のほんの入り口なのに、寒がりの私は部屋では早くもソックスを2枚、スパッツにジャージを重ね、頭はスカーフで包んでいる。

この邸宅の設計は、1に断熱、2に他所の家を覗かない、3に外から覗かれないという3点に最大の配慮をしているようだ。西側に大きな窓がある私の部屋はこの邸宅の中では恵まれている方だ。

夏の日中は窓を閉め切り外の空気を遮断し、分厚いカーテンを引き熱を入れないというのが当地の夏の暑さ対策と教わった。そのとおりすれば、暑い外から帰り、1歩屋内に足を踏み入れるとひんやりして気持ちがよかった。それが今では暖かい外から家に入ると底冷えする。昼休みに病院のベランダで日光浴をするのが最近の楽しみである。

喉元過ぎれば熱さ忘れるというが、この建物の構造のおかげで、暑さの記憶はあっという間に消え去ったが、冬の厳しさだけが私の中に蓄積されていく。

1年目の冬は、寒さの備えも充分でなく寒かった。前任者が残していってくれた衣類と自分のを合わせ、数を重ねることで凌いだ。トイレにいった時は、玉ねぎの皮を剥くようなもどかしさだった。唯一の暖房器具であるガスストーブも「今日だけはついてくれ」という日に限ってガス欠となる。湯沸しポットを抱えると暖かいが布団の中には持ち込めない。ちゃんとした電気の暖房器具との2段構えで備えるべきかと考えたが、ショートするかもしれないとのことだった。原始的な方法が一番安心、確実だと考えるにいたった。

2年目は冬用の衣類をぐんと増やしたが、中でもスキーウェアの上下、手袋はおおいに活躍してくれた。またガス欠も4、5日で済んだように思う。パキスタンのインフラも向上中なのだろうか。

今年10月半ば、「チトラルで大雨と大雪。家屋倒壊で少女ら3人死亡。48時間にわたって降雨。積雪は200mm。ロワリ峠の積雪は6フィート」というパキスタン情報をEメールでいただいた。3年目の今年、私の対策は充分なのだが、例年を上回る速さで冬がやって来たのが心配だ。