迎春
―ペシャワールより―
PMSワーカー M.S.
2005年1月10日(月)
ペシャワールの新春風景/PMS病院の屋上より
あけましておめでとうございます。
ペシャワールは日本より4時間遅れで新しい年を迎えました。といっても1月1日も休日ではなく、新年を迎えたといっても、特別な感慨はほとんどありません。

大晦日はちょうど集団礼拝日の金曜日で半ドンでした。ペシャワールの日本人ワーカー5名が集まり、年越しそばを食べ、衛星放送の紅白歌合戦をみようと意気込んでいました。しかしその日は前日の夜から降り始めた雨が午後にまた降り始め、一向に止む気配がありません。そして雨のせいで電波が弱く、紅白歌合戦はほんの一時、映像を楽しんで終わりました。でも少しは年末の気分を味わうことができました。

まるで日本の梅雨のようなしとしとした雨は元旦の午前中まで続きました。こんなに雨が続いたのは珍しいことです。恵みの雨とはいってもこの集中的な雨で家屋倒壊の被害が出たようで、なかなかうまくいかないものです。

正月の3日にやっと太陽が顔を見せました。いつもは埃っぽく薄いもやが掛かっているようなペシャワールも、雨の後は空気が澄み遠くまで見渡すことができます。その日は雪を抱いた山がくっきりと見え清々しい光景でした。

正月は休日ではありませんが、12月25日は休日です。クリスマスだから休日なのではありません。12月25日はパキスタンの建国の父といわれるムハンマド・アリー・ジンナーの生まれた日ということで休日になっています。カエデ・アザム(偉大な指導者)といえば彼を指します。今流通しているパキスタンの紙幣は6種類ありますが、表は全て彼の写真で、それは建国以来ずっと変わっていないそうです。昨年日本で新札が発行されたことは、こちらの新聞で紹介されていました。いつかジンナーの姿がパキスタンのお札から消える日もくるのでしょうか?私にはそんな日は来ないような気がします。彼が偉大過ぎて余人に変えることはできない、また国民も変化を追い求める体質ではないのでは、と。

12月25日は、日本で食べるのとまったく遜色のないおいしいケーキをいただきました。イエス・キリスト、カエデ・アザムのバースディを祝ってというほどの意味はなく、ただちょっとクリスマス気分を味わうために。

日本の行事もちょっと味わって、こちらの行事もあやかって、得をしているかもしれません。でも、クリスマスも、カエデ・アザムの誕生日も正月も自分が意識しなければ普通の1日として過ぎていくだけでしょう。

やがて1月の末にはイスラム教徒にとっては重要な祝日イードゥルアズハ(犠牲祭)がやってきます。連休ということで嬉しくはありますが、宗教的な意味を持たない私には単なる休日です。そうはいいつつも、回りの人たちの喜びが伝わってくると少しワクワクもしてきます。

こんなふうに喜びもちょっと中途半端、不完全燃焼です。でもこの不完全燃焼さが異国に住むということかもしれない、などと思ったりしています。

病院の庭から菊は撤去されましたが、もう春の花が出番を待っています。もう少し寒さは続きますが、庭を散歩すると春が近づいているのが感じられる日々です。