イードゥル・アズハ
―ペシャワールより―
PMSワーカー M.S.
2005年2月7日(月)
PMS病院のスタッフが購入した牛
1月20日からイードのため病院は4連休となりました。

このイードは、「イードゥル・アズハ」犠牲祭と言われています。本によれば、アッラーに帰依するために自分の持っているものを捧げるということで、山羊・羊や牛などを捧げて祝うのだそうです。

病院のスタッフ5名が共同で牛を1頭買い、イードの21日に犠牲に捧げるという話を聞きつけ、その現場を見せてもらおうと、朝10時頃に病院に向かいました。道端では早くも解体されている牛、今ロープで引きずられている牛などが車の中から見えました。

病院の小屋に繋がれた牛は真っ黒で中位の大きさです。2日前に連れて来られた時は暴れていたということですが、その日は首に架けられた鈴の首飾りを時々鳴らしながらゆったりとその場を動いていました。

解体のための助っ人、牛のオーナー、当番のスタッフ数名、見学者も揃い、12時頃にいよいよ病院の牛の番になりました。小雨の中を小屋から引き出し、両足を結わえて横倒しにしたところで、全員でアッラーに祈りを捧げた後、首の頚動脈が掻き切られました。その時は牛も暴れる気配を見せましたが、そこを数名のスタッフが押さえ込むと、あとは鮮血が流れるにしたがい力が抜け、出血が止まったところで小屋に戻して解体作業が始まりました。

解体中の牛
真っ黒な皮が剥がれると、その下からは真っ白な体が現れ、その後、腹腔の消化器が取り出されました。草食・反芻動物の牛、大きな4個の胃袋と腸が取り出されると、空洞ばかりが目に付きます。5名で分けるほどの肉があるのかしら?

解体助っ人は20歳代前半、10歳代と思える青年と少年の2人組です。彼らの道具は普通の包丁2、3丁と小さな斧、砥ぎ棒、紐といたってシンプルです。切れ味の鈍った包丁を時々砥いでは黙々と作業を進めています。他の人も脚を持ったり、体を押さえたり、ちょこちょこ手伝いますが、ドライバーのハンジャンはかなり経験があるのか積極的に彼らに加わっています。

小屋の屋根からはポタポタと雨が漏れ、牛からはボワーッと湯気が上がり、解体している2人は重労働で燃えているでしょうが見学者の私達はとても寒く1時間ばかりストーブの部屋で体を暖め、出直すとほぼ作業は終わっていました。解体には4時間ぐらい掛かかりました。

ぶつ切りにされた肉の山が5個、骨付き肉が同じく5個ずつ山にされ、その上にオーナーの名前が書かれた折りたたまれた紙が置かれていきます。肝臓・心臓も平等に分配されます。こうして山積された肉を見ると、やはり牛1頭というのはすごい量でした。残った頭と脂肪の部分がオーナー会議でハンジャンへのプレゼント、解体を手伝ったスタッフにもおすそ分けがあり、病院のスタッフ用、患者用にもオーナーから一部供出されました。

解体した青年達は2人で1200ルピー(2400円ぐらい)の現金もらい、現物給付の皮を担いで帰っていきました。皮は1500ルピーぐらいで売れるそうです。

オーナー達はそれぞれ大きなビニール袋いっぱいの肉を家に持ち帰りました。3分の1を家族で、3分の1を親戚・知人に、そして残りの3分の1を貧しい人たちへの寄付とするそうです。

私達の宿舎にもガードマンのおじさんから皿いっぱいのずっしりした生肉をプレゼントしていただきました。その後も連日太っ腹のオーナーから肉料理を届けてもらいました。

牛を買う時には病気をしていないか相当念入りにチェックするそうです。そして解体時はずっと付き添い(ほぼ1日かかった)、家族が肉を口にできたのは夜遅くでしょう。店で肉を買えば簡単なのに…、宗教的な意味があるからできることなのでしょうね。

翌日、同じ日本人ワーカーとペシャワール市内に出かけました。サダル(ハイカラな街)は殆どの店が閉まっていました。一方、オールドバザールは、結構店も開いて活気があります。華やかな店はチューリー(腕輪)屋さん、店の前・後ろ・横とキラキラ光る腕輪がびっしりと壁を覆っています。ぬかるんだ路地を、着飾った小さな少女が通り過ぎます。家の扉は閉ざされているので、中の様子はわかりませんが、時々扉が開いたときに音楽が聞こえる家もありました。

肉の処理をする店は大忙しです。数軒おきといいたくなるほどミンチ屋がたくさんあり、ビニール袋に入れた肉を持ち込んでミンチにしてもらうようです。内臓を処理する店、足を湯がいて皮を剥く店、大人に混じって少年も懸命に仕事に精を出していました。

路のあちこちには皮の山がドーンと積み上げられています。そこここで売る人、買う人の交渉中のシーンも繰り広げられ、道路はごった返し、自主的な交通整理員も奮闘しています。

ペシャワールのほんの一部を見ただけですが、あまりにも多い皮の量に驚きました。パキスタン、イスラム国全体を思うととんでもない量になるのでしょうが、私の頭ではこれ以上を想像することは無理のようです。