雨の日のビーチパラソル
―ペシャワールより―
PMSワーカー M.S.
2005年3月6日(日)
ビーチパラソル
12月の末からの続いた雨の日も、3月にはいり、やっと終止符が打たれた、と思いたい日々です。

当地は乾燥地なので、太陽が出ていなくても雨さえ降らなければ洗濯物は2時間ぐらいで乾いてしまいます。しかし、この冬は雨の日が多く、まるで日本の梅雨のように室内に洗濯物を干し、最後はガスストーブで乾かすという日が何日もありました。

食べかけの袋を開けっぱなしにしていても、虫の心配はあっても湿気の心配は無用だったのですが、この冬は私達の宿舎でもカビが発生した部屋があったそうです。

舗装されていない路は連日の雨でぐちゃぐちゃです。車の汚れを少しでも軽くしようと、ドライバーもコースを変えたり工夫しています。ある日、小雨の中を元気よく遊んでいる子供たちが遊びの輪を離れ、車の窓ガラスを叩きました。私は「物乞いかなー」と思ったのですが、前の車がぬかるみにはまり立ち往生していて通行できないことを教えに来てくれたのでした。窓ガラスを叩く子は条件反射のように物乞いと思った自分が恥ずかしかったです。

そして雨のせいで停電もすこぶる多い冬でした。マッチとローソクは必需品です。 病院には発電機があり業務に支障はないようになっています。しかし、発電機に切り替わる度に検査機器には負担が掛かるので、一旦蓄電し、そこから分析機器に送電されるようになっているのですが、その蓄電が間に合わなくなる程の停電続きでした。

寒さも雨も、私には愚痴る程度で済みますが、パキスタン・アフガニスタンでは多くの被害が出たそうです。テレビでも連日トップニュースで雨・雪の被害が流されていました。ニュースになる大きな被害以外にも、身近な小さな被害は大半の人が受けたのではないでしょうか。家が壊れ修理のために仕事を休んだ仕事を休んだドライバー、宿舎の門番の家は天井が落ちお母さんが怪我をしたそうです。

私が直接聞いたスタッフは数人ですが、皆、雨漏りがしたといっていました。しっかりした造りの病院でも雨漏りしたのですから、土・煉瓦造りの家ではとてももたないだろうとは想像できます。そして彼等の家にはガスは来ていないと言うし、停電は頻発したので、この冬を乗り切るのは大変だったことでしょう。

ガスがなければ料理はどうするのかと尋ねると、「薪でする、でも薪は高い」、「自分のところはたくさんあるので高くない」、アフガニスタンのダラエヌールから来ているスタッフは「牛の糞を丸めて乾かして」。ガス消費派の私は、この牛糞循環派に心から拍手を送りました。

ビーチパラソルをさす検査室スタッフ達
又、ある日のこと、「朝の3時頃、地震が来るという放送があって、皆、外に避難したんだよ」と言います。地震予報?津波の間違い?でも海もないし…?どういうこと?。釈然としなかったのですが、やはり地震が来るとの流言が大々的に放送され、多くの市民が避難するという騒ぎになったそうです。私はそんな騒動も全く知らず、安眠していたのですが、小雨の早朝不安を抱えて避難した人たちには本当に気の毒なことでした。

そんな踏んだり蹴ったりの雨続きの日、私の楽しみは路行く人々がさしている傘です。「ビーチパラソル」タイプを見つけると心ウキウキしてしまいます。この傘が今人気なのか、10人(5人?)に一人はこのビーチパラソルをさしているようです。広げた時の大きさも充分あるので、遠目にも華やかです。検査室のスタッフもこの傘を持っていたので早速室内で写真撮影させてもらいました。100ルピー(約200円)だったそうです。

仲地医師の送別パーティ
この傘は骨の数も多く12本ありました。模様がきれいに出るという効果はありますが、真っ黒な傘でも時々骨の多い傘を見かけるので、このほうが頑丈だという実用的な意味があるのでしょうか。ちゃちな造りを、数でカバーしているということでしょうか。
現地のものは「造りが、ちゃちだ」と安易に決め付ける自分をいつか恥じる日が来るかもしれませんが。

そして、雨の隙間にぽつんと訪れた快晴の日、3年間勤められた仲地先生の送別パーティが病院の中庭でもたれました。