ゴミ事情
PMS会計担当 中山博喜
ペシャワール会報76号より
(2003年07月09日発行)
ペシャワールの商店街を歩く
世界各国、水の性質も異なれば土の性質も異なり、気候の性質なんかまで異なってしまえば人間の性質なんてのも異なるわけで、現地の人々と日本人である私との間にも相当に大きな“性質の差”なるものが存在する。

今回はこのあたりの「差」について話を一つ、ゴミ処理に対する考え方の違いである。
ことわっておくが、それぞれの考え方に差があるからといって、どちらが正しく、どちらが正しくない、なんてことを言うのはタブーってなもんですね。「差がある」とだけ言いたいわけであって、このあたりの差をきれいな言い方で「文化」などと呼ぶのかもしれない。・・・か?

店頭に積まれたビン入りジュース、紙パック入りジュース
こちらに来ると最初に目に付くのが、あちこちにポイポイ捨てられているゴミ。種類はいろいろでビニールのくずや紙くず、プラスチックの破片などなど・・・。しかし日本とは違い缶類やビン類がゴミとして散らばっていることはまずない。

こちらでもジュースなるものが存在するが、それらの殆どは紙容器かビンに入って売られている。紙容器は「ッッッッポーイッ!」とそこらへんに捨てられる。

ビンに関しては、買った店先で中身を飲んでしまい、空になったビンを再び店に返却する。気の利いた店によってはビンの返却賃として1ルピー(2円ほど)を払い戻してくれる。私が小学校低学年だった頃まで日本でも行われていた、小銭集めに奮闘する子供達には夢のようなスーパーシステムである。
缶に入った飲みものも実際あるにはあるのだが、内容量が同じなのに値段が3倍から4倍もしてしまう。よほどのお金持ちか特殊な事情が無いかぎり3倍もののジュースには手を出せない。
というか出さない。

生ゴミに関していうと、これまた日本の生ゴミ感覚とは大きく印象が異なる。
こちらはとにかく御天道さんが張り切りすぎるフシがある。夏場の日中気温は50℃以上になる。さらに乾いた空気も加わったりすると、生ゴミは「あっ」という間に乾燥してしまう。そして乾燥してしまった生ゴミは、これまた「あっ」という間に土に返っていくのである。すべてが「あっ」という間の出来事なので、ゴミは臭いを出す暇がないらしく、生ゴミ独特の、あの小粋に酸味を利かせた悪臭を感じる事はあまりない。

日本と同様、ある程度の距離をおいてゴミの収集場所が設置してあり、それぞれの家庭から出されたゴミはそこに集められる。このゴミの中にはとうぜん生ゴミも含まれているのだが、これらの生ゴミが羊のえさになる。
こちらではよく羊を食べる。肉の値段でいうと高価な部類に属するが、それでも結婚式やイード、その他にもイロイロと、なにかと欠かせない食材である。
羊飼いは羊たちをゴミ収集場所へと誘導し、ひと通り生ゴミを食べつくしてしまったのを見計らって次の収集場所へと導いていく。羊の大行列は町中の生ゴミを求めて移動していく・・・。人間の出したゴミを食べて成長した羊たちは、マルマルとなったところを人間に食べられるわけで、ここに画期的な食物連鎖、はたまたゴミ処理システム・・・を見ることが出来るのだ。

PMS病院前の雑貨屋さん。飴玉のお取扱もあり。いつもお世話になっています
それにしても勢いがある。ポイポイポンポンと、あたりかまわずゴミを捨てる。
ある日、ゴミ(飴玉の包装紙)の始末に戸惑っていた私に、横にいた男が「何をやっているんだ。日本人はいつもそうだ。日本ではどうか知らないが、ここじゃ何処にでもゴミを捨てていいから・・・」なんてことを、まるで法律で「ゴミはそこらに捨てろ」と定められているかのように、それはそれは堂々と胸を張って説明してきた。
いよいよ「異文化」への挑戦か。腹をくくった私は勇気をふりしぼって・・・

「トォーッ!」、手の中にあったそのゴミを、大空に向かって羽ばたかせたのだった。
・・・・・・6秒後に拾って服のポケットにしまいこんだ。
私の「差」に対するあくなき挑戦はまだまだ続く・・・。