お金にまつわるエトセトラ
PMS会計担当 中山博喜
2004年03月25日(木)
パキスタンのルピー札
現地のお金を数えながら、ふと思うことがある。
「日本のお金って良くできてるもんだ」

私は海外を回った経験がほとんどない。だから幾つもの国のお金を知っているわけではないのだけど、恐らく日本のお金は、精巧さというか精密度というか、そういった加減でいうと、世界のお金の中でも5本の指に入るのではないのだろうか。よく分からないけどそんな気がする。

そんな気にさせるのは、やっぱりこちらのお金を知ってしまったからなんだけど、だからといってパキスタンのお金が精巧に出来ていないと言っているわけではない。むしろこれくらいが普通であって、日本のそれが精巧すぎるような気がする。

日本は全体的に『すぎる』ところがありますね。
電車なんかもそうで、1〜2分ほど電車の到着が遅れただけで、
「乗客の皆様に大変ご迷惑をおかけ致しております」
といった感じで大変ご迷惑な状況になってしまう。1〜2分って、普通に運転していたらズレるものではないのかと思ったりする。どうなんだろう。ま、その『すぎる』のおかげで、今日の“made in Japan”クオリティーがあるわけなんだが。

現在流通している2ルピー硬貨と1ルピー硬貨 (上)、旧2ルピー紙幣と旧1ルピー紙幣(下)
パキスタンの通貨単位は「Rs.(ルピー)」である。通貨価値は1ルピーあたりおおよそ2円。1ルピー、2ルピーは硬貨で、5、10、50、100、500、1,000ルピーが紙幣で存在する。最近になって5ルピー硬貨が出回り始めたので、そのうち5ルピー紙幣は無くなると思われる。問題はこの「無くなる」で、ある日を境に本当にそのお金は使えなくなる。この世からお金としての価値が無くなるのである。

 私が現地に来てすぐの頃は、まだ1、2ルピー紙幣があった。でもその頃にはすでに硬貨も多く出回っていた。いつ頃だったか、ある日、
「今年いっぱいで1、2ルピー紙幣は終了します」
といった趣旨の発表が政府からなされた。つまりその期限までに、現在手元にある紙幣を換金せよ、ということを言ってきたわけなんだけども、期限が過ぎたら本当に使えなくなった。ものの見事に使えなくなった。前日までお金だったはずのモノが、次の日にはただの紙、紙とお金、まさに紙一重の世界である。

 世界の通貨すべてにおいて偽造の問題が付き纏う。どの国もそうで、この偽造を防止するためにいろいろと奇妙なカラクリを駆使するわけなのだけど、日本の場合、そこに『すぎる』を惜しみなく投入するもんで、それに慣れきっていた私なんか、初めて『普通』に出くわした時、逆に焦ってしまった。

 こちらの紙幣にも日本のそれと同じようにお札の両面に絵が描かれているのだが、紙面いっぱいに描かれているわけではなくて、長方形の四辺それぞれに余白が存在する。それがしかしこの余白、それぞれの紙幣が全くもってバラバラなのだ。あるものは上面の余白が大きく、またあるものは下の方に大きな余白がある。右寄りの紙幣もあれば左寄りのもある。裁断の際に何らかの理由でずれるのだろうが、『すぎる』の世界ではありえない話である。

100ルピー札あれれ...
さらにジックリ観察してみると、それぞれ色まで違うことに気付く。というかジックリ見なくても明らかに違う。

これはその使用頻度によって、擦れたりして色が落ちたりそうでなかったりというわけではなく、新札、出来上がってきた時点で色が違う。正確に言うと色味が違うわけなのだが、同じ10ルピー札(10ルピー札は緑をくすませた、抹茶のような色をしている)でも、ある物は深い緑色をしていて、またある物は妙に白っぽい。微妙に赤いのもあればオレンジがかった物もある。明らかにインクの配分が違う。

ついでに言うと、書かれている文字の太さもそれぞれ異なっている。明らかにインクの量が違う。
こちらにも偽札が存在するわけだけども、本物がこれだけバラエティー豊かに富んでしまっているもんで、「偽札だ!」と判断するための確たる基準がない。結局、判断する者がその人なりの論理でもって偽札か否かを決定するわけだが、なにしろ基準が無いわけだから「その人なりの論理」というやつだって見事にバラバラである。

 とにかく、先ずは紙幣を白壁に擦りつける、それで壁にインクが付けば本物である。と初めに教わったのだが、そうでなくてインクがついたら偽物、と後から訂正する者が現れた。指で擦って表面がガサついているのが本物、と言う人もいれば、表面がガサついているような紙幣は偽物だと言う人もいる。

10ルピー札の透かしあれこれ
こちらの紙幣にも透かしの技術が盛り込まれており、その透かしの状態で偽札を判断する場合がある。確かに透かしの入っていない偽札が多い。

だがしかし、たまにではあるが本物の透かしが思いっきりズレていることがある。こういう紙幣を発見した場合、とりあえず白壁に擦りつけてみようということになるのだが、前述のような状態でどちらの結果も本物であって偽物である。それじゃあ指で擦ってみよう、ということになるのだが、これもまた然り。

つまるところ分からない、全くもって判断がつかないのである。これはあくまで個人的な見解だが、恐らく今までに相当な数の本物紙幣が偽物のレッテルを貼られて、お値打ちごちゃまぜ紙一重の世界に散って行ったのではないかと思われる。その逆もあるわけだけど・・・。
こう書くと、何だかやっぱりこちらのお金の精密度というのを疑ってしまったりするわけだけども、どうなんだろうか、やはりこれくらいが普通のような気がする。

 風のうわさで聞いたのだが、どうやら今年のうちに日本の紙幣が衣替えをするらしい。更なる偽造防止技術がどうとかこうとか何やらよく分からない。『すぎる』の上にこれまた『すぎる』を盛り込むわけで、ここまで来ると、現在『普通』にどっぷり浸かってしまっている私には、これはもはや宇宙である。