襟足を整える人々
PMS会計担当 中山博喜
2004年10月7日(木)
先日髪を切るべく床屋に行ってきた。

人間誰しも髪は伸びる。聞くところによると、一カ月に大体1.5センチほど伸びるらしい。
それでもって私の髪も御多分にもれことなく伸びに伸びきってしまったのだった。これはもはや諦めて床屋に行くしかない。

何を諦めるのかというと、床屋に行かない、という心組みを諦めるわけであって、「しょうがないな」といった気持ちでもって床屋に行く事になるのだが、なぜしょうがないなという気持ちになるのかというと、「床屋に行くとやたらと疲れるからなるべく行きたくない」と常日頃から思っているからである。

ではなぜ疲れるのかというと、「床屋に行くと勝負をしなければならない」という現実が待ち受けているからに他ならない。
そう、「床屋に行く」ということは、「勝負をしに行く」ということなのだ。これはもうただ事ではない。

これがしかし、床屋を相手にやるかやられるか、命を賭けての真剣勝負、というわけではけしてないわけだ。髪を切ってもらうべく床屋に行くわけで、これはつまり私はわざわざやられに行って、やられ続けて終わってしまう、ということだ。なんだか大敗ムード満点である。だからそういう意味の「勝負」ではない。でもある意味、命にかかわる勝負ではある。

現地での生活も4年目ともなると、いちおう行きつけの床屋というものができる。
その店は宿舎から歩いて20分ほどの、ちょっとした賑わいを見せる露店の並びにある。
従業員らしき人物が3人、店のオーナーらしき大男が、その体形にはあまりにも似つかわしくない小さな椅子の上に腰を下ろし、店の前を行き交う人々をガラス越しに眺めている。

「行きつけの」とまで言っておきながら、いまだに確たる従業員やオーナーを断定できずに「らしき」のままでいると言うのも情けない話だが、とにかく従業員が次から次に変わってしまって誰が誰だか分からない。で、オーナーらしき大男はどうかと言うと、これは変わらない。何時でもボーっと外を眺めている。

店の中は鏡張りの壁があって、その前に椅子があって、パッと見は日本で見られる床屋の光景そのもの。奥には洗い場があって、ひと1人が水浴び出来るくらいの広さで、日本の公衆便所のように敷居でもって幾つかに分けられている。

お客がその洗い場の中に入って戸を閉める。床屋は引き出しからおもむろにバスタオルを取り出し、洗い場の戸と天井の隙間にそのタオルを引っ掛ける。中ではお客が髪を洗ったり、顔を洗ったり、全身を洗ったり、しているかどうかは中が見えないので分からないが、髪を洗っているのは確かだ。
髪を洗い終わったお客は、テーブルに置かれているブラシでもって髪形を整え、洗い場の使用料を支払って帰っていく。

この洗髪システムは日本では見たことがない。興味が湧く。
この洗髪客のために、店ではアルミパック1回使いきりのシャンプー(日本でも試供品とかいって貰う、あれ)を販売している。

ま、確かに興味はあるんだけど、ここで髪は洗わない。宿舎に戻ってから洗う。ここには散髪に来ているわけであって洗髪はしない。
床屋が私を呼んでいる。いよいよ私の番である。やられる番、と書くと大敗ムード満点なので髪を切ってもらう番。椅子に座ったところで勝負開始である。

最初の問題は「髪型」、どう切ってもらうか、それをどう伝えるか。この時点で相手に先手を取られると、これは後々とてつもなく不幸的ミタメ気持ち悪い的おれ様を生み出してしまうことになる。

私は髪型に対して2つほど名前を知っている。
1つは「軍隊カット」と呼ばれるやつで、いわゆるスポーツ刈りと日本で言われている髪型。そしてもう1つは「クルーカット」、これは基本的にはスポーツ狩り、でもって上の部分だけ少し長めに残すひょっとするとこれってもしかして「おかっぱ」である。
三十路手前の男がにっこり顔におかっぱ頭というのだけは避けねば、とここですかさず軍隊カットを選択。あとはまあいろいろと細かい部分をそれなりに、とやっていくわけだけど、この細かい部分をそれなりに話し合うというのは非常に重要な行動であって、これを適当に済ますと何時の間にやらあら不思議、にっこり顔のおかっぱ頭に再び戻ってしまう。

緊張が続く中、いよいよハサミが入る。
鏡の前のテーブルに散髪道具が無造作に置かれている。その中にブラシが1つ、柄の部分に何やら日本語らしき文字が書かれているのが見える。

「 空 手 道 」

おー!これはなんと攻撃的な!なにゆえブラシに「空手道」!

さらにその上の方に目をやると、英文字でもって「EAGLE」と書いてあって鷲の絵がプリントされている。鷲と空手の極強2本立てダブルパンチ。これはもう最上級の威嚇ではないか。もっともそのブラシ自体なんとなく硬そうで、今にも頭皮を襲わんとばかりの出で立ちである。

おのれおのれ、あちらさんはかなりやる気であるぞ!んー、こちらも心してかからねば。私の緊張度はますます増していくわけだが、そんな緊張状態を尻目に、髪はあれよあれよと比較的良い感じに切り揃えられていく。
あれ、いいぞいいぞ、これは私にとって出来すぎなほど理想的な展開ではないかムフフ、などとニヤついているうちに、気がつけば勝負もいよいよヤマ場まで来ていた。

こちらはB型肝炎の感染者が非常に多い。感染理由の1つに医療器具などの洗浄不足や使い回しというのがあって、これについては現地政府も使い回しを禁止するなどの措置をとって感染の拡大を阻止しようと躍起になっているわけだが、これがなかなかもって市民生活の中にまで行き届かない状態である。

髪が大方切りそろえられたところで、最後にカミソリでもって襟足を整える「襟足キレイキレイの儀式」なるものがすべからく行われるわけだが、このときに使用されるカミソリの刃が、先に述べた肝炎の問題にひっかかってくる。

早い話がカミソリの刃を換えることなく使用するため、使っているうちに何時の間にやら肝炎ウィルスが人から人へと拡大してしまうわけである。

これはたまったもんじゃない。まさに命にかかわる大勝負だ。最近はマジメに刃を換えてくれる店がほとんどだが、まだまだ油断はできない。
襟足キレイキレイの時間が近づくにつれて緊張の度合いも最高潮に達していく。刃を換えてもらえなかったりしたら、これはもう心の中で叫んでいる場合ではない。全身全霊でもって

「えー、刃を換えてくださいませんか」
とわめき散らさなければ私の命が危ない。すんごく危ない。
そうこう言っているうちに襟足の時間だ。床屋がハサミからカミソリに道具を持ち替えた。
緊張の一瞬である。息を呑んで、手に汗握って・・・・・・・

「あっ!か、換えた!換えたぞ!床屋がカミソリの刃を交換したぞー!」

わっはっは、どうだどうだ、もう怖いものなんか無いからな、ゼンゼン怖くなんか無いからね、などと思いながら、まだ散髪が続いているため動けないなか、顔だけやたらとニヤついているのであった。

と、ここまで書き進めてきて、こうまでして床屋で髪を切るべきか、誰か周りの人にちょっと切ってもらえば済む事ではないのか、と思うようになってきた。

しかしそれができない。
私の実家は何を隠そう「床屋」である。これが原因なのかどうか分からないが、
「ばーろー!シロウトが人様の髪を切れるかい!散髪は床屋に任せなさい!」
といった奇妙なポリシーのようなモノを心の奥底に備えてしまっている。
とてつもなく迷惑なその「モノ」のために、数週間後、私は再び勝負をするハメになる。