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新垣勉さんのコンサート

ペシャワール会事務局長 村上 優
2004年3月1日(月)
▲沖縄ピースクリニックのメインゲート

去る2月20日に日本武道館で新垣勉さんのチャリティー・コンサートが開かれました。
「願い~愛と平和の歌」と題されて、ペシャワール会の活動を紹介して活動支援を目的としたものでした。
 新垣勉さんに深く感謝し、お集まりいただいた聴衆や関係者の皆様にお礼申し上げます。

 私の新垣さんとの出会いはペシャワール会をきっかけにしています。3年ほど前に福岡桜ライオンズクラブがペシャワール会支援のために岡村喬生さんのコンサートを開催してくださいました。その時のアンコール曲が「サトウキビ畑」でした。沖縄の情景が浮かび、心に伝わる歌声に自然に涙が出てくるのを止めることが出来ませんでした。その後CD店で岡村さんの「サトウキビ畑」を探していた折に、新垣勉さんの「サトウキビ畑」に出会ったのです。聴いてみるとバスとテノールの表現は異なりますが大変に感動しました。それにつられて福岡で開かれた新垣さんのコンサートを聴きに行きましたが、ユーモアと歌声、選曲にすっかり魅了されました。

新垣さんは沖縄で生まれ育ちました。その生い立ちは戦争、米軍、視力障害、家族、孤独など沖縄の今をありのままに表現するものでした。テノール歌手として広く知られる前に地道で真摯な生き方がありました。2002年に中村哲医師が沖縄平和賞をいただき、昨年は沖縄の人々よりいただいた平和の想いを表現するために建て替えたダラエピーチ・クリニックをオキナワ・ピース・クリニックと改名しました。沖縄を介して平和を願う心が広がり、最も苦しいところに光はあるように感じ、つながりが出来たのでしょう。

 新垣さんのコンサートで歌われた曲、例えば広島を歌った「青い空は」や「イムジン川」、それに「サトウキビ畑」など歌から湧きだし表現されることが具体的な出来事として心に描かれます。その歌を聴きながら、アフガニスタンで空爆を受け、旱魃に苦しみ、病で死に、難民として日々を送り、食糧が無く飢えている人々のことを、自分の体験とする共感や想像力が引き出されました。中村哲医師の現地活動も、それに触れる者に同様な感動を与えます。そこに共通したものを感じます。その結果、コンサートが終了して数多く置かれた募金箱の前にアッと言う間の人垣ができ、多くの人々から寄付が寄せられました。総額451万8826円で、そのままを新垣さんよりご寄付いただきました。

 丁度、アフガン現地から灌漑用水路の取水口の難工事が完成間近で、本格的な用水路や灌漑への大きな山場を越えると連絡がありました。3月4日に予定されている取水口の通水式では関係した日本人の若いワーカーや現地の人々が抱き合って、涙を流しながら祝うのだと想像します。愛と平和を共に感じることができる幸せに感謝します。