悠々たる山岳の暮らしに思う
ダラエヌール診療所事務 杉山大二朗
ペシャワール会報95号より
(2008年04月01日発行)
バルコートから
21世紀の現在、アフガンの山奥では貨幣経済の波に影響を受けず、自給自足の暮らしを続けるのどかな部落があることに驚く。
事も無げに7時間も歩いて下山してきたという彼らの悠々とした時間の感覚を、文明社会に汚染された我らには持ち得ないかもしれない。 とにかく、現代人は自然に対する畏れが希薄になってはいないだろうか。自分の思い通りにならなければ思い悩み苦悶するが、自然に対する謙虚な畏れがないばかりに調和や寛容という知恵を蔑ろにしているように知覚される。

その一つが時間の捉え方だろう。日本でも明治期からグレゴリオ(太陽)暦が導入されて、それまでの陰暦の慣習が一変してしまった。特に農業や漁業といった季節や月の満ち欠けに左右される仕事に従事する者は、さぞや戸惑っただろう。「多分」「恐らくは」という大らかで含蓄に富んだ言葉は忌み嫌われ、正確精密さが求められる社会は、歪で窮屈極まりない。所詮は人間が作り出した道具に過ぎない時間という概念に、人間が翻弄されては本末転倒だ。そして人として矜持に支えられた豊饒な精神までも蝕みかねない。だから私は山岳民族に敬意を表し、腕時計や目覚まし時計を捨てて、大いなる自然の流れに身を委ねるのだ。

ドン、ドン!
「こらー!ダイさん!起きろ!もう朝礼始まってんぞー!」

は、しまった。また寝坊して遅刻だ…。珍しく良いこと言ったなと思ったら夢だったか。朝礼に出ると現地スタッフたちがニヤニヤしている。澄まして「いいかい、君たち。時計なんかはだネ…」といつもの口上が始まる。