おかれた状況で人事を尽くし、天命を待つ
―彼等の暗黙の優しさが―
現地連絡員 杉山大二朗
ペシャワール会報103号より
(2010年04月01日発行)
護岸中のレイバー/用水路C地区にて
2008年11月までペシャワールの基地病院で藤田院長代理と会計の村井君と私は残務処理に追われてパキスタンに留まっていたが、治安の悪化に伴い、止む無く日本に一時撤退した。

空港に向かう間、いつも寝食を共にしたドライバーのグランナビさんが「必ず戻って来いよ。ワシらは待っとるぞ」と何度も別れを惜しんでくれた。
「ああ、必ず俺たちは戻る。だから心配しないでくれ」としか私は言えなかった。
「いつでも逃げる場所を持つ日本人」
たとえ彼らから非難されても反論できないが、彼らは私を責めもせず、ただいつも仕事を終えて別れるときと同じように、「神の御心のままに」と言い交わし、いつもより長い間抱擁を交わして別れた。だが、その彼らの暗黙の優しさが私を責めた。

いつもにこやかに笑うが悲しげな目をした看護師アーベットさん。
「ふぇふぇふぇ」といつも笑う好好爺だが、泣く子もますます泣く百戦錬磨元ゲリラ指揮官だった看護師のサルフラーズさん。
頭脳明晰で毒舌家だが、寂しがり屋の水路作業責任者ヌール=ザマン。
勇猛果敢だが瞬間湯沸かし器のジア医師。
都会っ子で元俳優、冗談ばかり言う事務員サブール。
いつも喧嘩ばかりしたあとはお茶を飲んで仲直りした水路現場監督ハビブラ。
頑固一徹元軍人で冗談好きな総務長キナット=シャー翁。
厳格だがジョーク好きでウィット溢れるイクラムッラー事務長。

日本への帰途、ずっと彼等のことを思い出しては煩悶した。こんな形で日本に帰らなくてはならないのが堪らなく悔しかった。 逃げる場所すらない彼らを見捨てて、逃げる俺は卑怯で臆病者だという自責の念が今でもある。

今は藤田さんをはじめ、松永君、村井君たち4人で福岡にある事務局の一室で現地連絡員として勤務しており、現地との連絡、会計の仕事や現地から送られる中村先生の報告書の整理などをしている。

中村先生から送られる報告書を事務局で共に働くボランティアスタッフに説明したり読み合わせたりする時は、現地での凄まじいまでに渦巻いている人災天災に対して絶対に諦めず、果敢に闘っている先生や現地スタッフの姿に圧倒されて読む声が擦れてしまう。また全国で応援をして下さる方々に、少しでも現地で奮闘されている中村先生や現地スタッフの想いや姿を伝えることが出来ればという願いを込めて作業をしている。

現地から送られる生々しい報告書を読むと「出来ることならすぐにでも現地に戻りたい」という焦燥感に苛まれる。日本に帰った多くのワーカーもきっと同じように感じているだろう。 「置かれた状況で、一生懸命やって後は天の判断にまかせる」。
藤田さんから教わった中村先生の言葉だ。
日本にいても今ある現実を謙虚に受け止めて尚も諦めずに活動を続けること、それを忘れてはいけないと反省した。

目の前にある現実が全て、目に見えないもの、自分に関わりのないことは現実ではない。そんな嫌な雰囲気が日本を覆っているが、我々は決してそんな風潮に惑わされずに断固たる義侠心を持ち続けていたい。

水路事業の見通しはついたが、決して現地の事業に終わりはない。

どうか皆さん、今後も変わらぬ支援をお願いします。