アフガンでの挨拶から感じたこと
PMS農業指導員 高橋 修
* 初出誌 京都府国際センターメールマガジン第3号「アフガンでの挨拶から感じたこと(2003年6月13日配信分)」を加筆訂正
2004年2月17日(火)
一昨年(2002年)の3月からペシャワール会(現地代表・中村 哲医師)の活動に参加し、ちょうど2年が過ぎようとしている。

ペシャワール会は、約20年前からパキスタン北西部、アフガニスタン北東部の僻地で医療活動を展開し、数年前から水源開発を、一昨年から農業計画を進めてきた。私は今日までに5回アフガンの農村に滞在して農業計画のお手伝いをしてきた。

訪問の回を重ねる毎に挨拶の仕方が変わってくることに気づいた。初めての時は片手で(人によっては両手で)軽く握手し、その後手を自分の胸に当てて一言二言何か言ってくれる(パシュトゥー語で理解できず)。ところが最近では、右手を私の肩におき、左手を私の脇腹に沿えて(人によっては背中に回して)、髭だらけの顔を寄せて頬ずりをしてくれる人が増えてきた。背中が痛いほど抱きしめてくれる人もいる。その後の動作と一言二言は初対面の時と同じである。発言の意味を現地語が分かる日本人に尋ねたところ、「元気か」、「家族はどうだ」、「また会えて嬉しい」、「よく帰ってきてくれた」の類とのことであった。概して言えば、接触回数が多い人ほどタッチも言葉も濃厚であるように感じる。この挨拶形式はアフガン人同士でも毎日(時には出会いの度に)繰り返される。

背中が痛いほど抱きしめられ、「また会えて嬉しい」、「よく帰ってきてくれた」の一言を聞いたとき、やっと仲間に入れてくれたとほのぼのとした喜びがわき上がってきた。

アフガニスタンは有史以来戦乱に明け暮れてきた。1979年から10年に亘るソ連軍の侵略、引き続く内戦、特に2001年10月以降の米英軍による空爆と侵攻、この間における北部同盟による残虐非道など、筆舌に尽くせない悲しい歴史を経験している。

日本人の感覚からするとアフガンの挨拶形式と頻度には違和感がある。しかし歴史を重ね合わせてみると、ソフトな挨拶は敵味方を峻別するために必要な手段であり、濃厚な挨拶はお互いの無事を確かめ喜び合う気持ちの発露だと想像する。平和ボケした、人間関係が希薄化した日本に住む1人として、彼らの挨拶の底にある心情を理解し、同じ目線で農業計画を進めていかなければならないと自らを戒めている。