言葉について考えた
PMSワーカー zero(ペンネーム)
2004年2月3日(火)
本を読んでいて、ふと言葉について考えていました。いまだ自分にはちゃんとしゃべれる言語というものがありませんが、時々悩みながらもおおむね楽しみながら、それぞれの言葉と向き合えていると思います。

私が3歳の時に、家族で東京から京都に引っ越したため、家では標準語というか東京弁のような言葉で会話し、外では関西弁風の言葉(本物にはなれないので)を使う生活をしていました。祖父母を初め親戚の多くが関東に住んでいたため、盆や正月には東京に帰り、ほとんど違和感なく関東弁をしゃべっていたので、どこかで身内の人間に関西弁で話しかけるのは少し乱暴で失礼なのではという思いがありました。関東弁が家族の言葉で、関西弁はよそ行きの言葉という分け方をしていたと思います。

ところがこの数年ペシャワール会の活動を始める前後から、少し自分の中の感覚が変わってきたように感じています。

東京に行くことは、子供時代には「里帰り」という気持ちだったのが、今や成田空港やパキスタン大使館に行くための「地方出身者としての上京や滞在」となり、よそ行きの言葉としての訛りの隠せない標準語で行き先や出口を尋ねるようになりました。

そして標準語で話していてもだんだん関西弁が出てきてしまい、なんとなくもどかしくて無性に関西弁で話したくなり、友達に電話をかけたりしました。長い時間過ごした京都の友達や話した言葉に愛着を持っていたことに、離れた東京で気付いたのかもしれません。

前回の一時帰国時には、関東にいる間でも感じのよさそうな駅員さんには初めから素直に関西弁で話しかけたら、その度にかなり親切に対応してもらえ、不思議な喜びを感じたりしました。

現地でも複数の言語の使い分けがあたりまえに行われていますが、仕事の性質や言語能力で判断して適切に思える言葉が、必ずしも一番良いコミュニケーションができる言語の選択ではなかったりします。背筋を伸ばして英語で話そうとしている人に現地語で話しかけたら失礼になってしまったり、自分には苦手な言葉でも相手の母語で話してもらったほうが理解しやすかったという経験をたくさんしました。

先日はパシュトゥ語の勉強を始めてからすっかり忘れたと思っていたウルドゥ語が、まるで教わっていた当時のように耳に入ってきて理解することができ、驚きと喜びを感じました。言葉には頭で考える理屈ではない人間的な何かがあるんだな、とつくづく感じています。

今、現地で多くの日本人ワーカーとはそれなりに親しい付き合いをしているつもりなのですが、関西(特に京都)に縁のあるワーカーも多い中、誰とも関西弁で話していないということが、実はあまり打ち解けていないということなのか、それとも家族言葉で話しているということなのかは自分ではよく分かりません。しかし、少しでも言葉が相手との良いコミニュケーションの助けになればいいなと思っています。