水路現場写真(2009年10月8日受取)



事務局のみなさん

湿地帯と湿害処理
シェイワ郡には「むか~しからあった」と言われる大きな湿地帯がありました。

下の地図を見てください。ガンベリ沙漠に連続して茶褐色の領域があります。5年前の衛星写真で、おそらく草が枯れる冬季のものです。

広さ約300ヘクタール、これが最近拡大していました。そもそもアフガニスタンのオアシス農村では、水を取込むのに熱心で、排水路は余り考慮されません。すると、数十年、数百年と経つうちに行き詰まりの水路末端の低地には塩類が蓄積してきます。死海、アラル海、カスピ海など、自然に出来上がった内陸の湖と同じです。

もう半世紀ほど前、ナイル河の洪水を制御するために「アスワン・ハイダム」がエジプトで建設されました。当時は人類の進歩の象徴として世界的な絶賛を受けました。日本で巨大ダムが次々と建設されたのも、この頃でした。

しかし、乾燥地の河の閉塞で何が起きたでしょうか。初め、ダムの上流で広大な面積が灌漑に浴した時、皆が大喜びしました。だが行き先のない分水路の末端は淀み、塩類が蓄積して新たに得た農地はことごとく荒廃しました。沼地が増え、ビルハルツ吸虫がはびこり、多くの農民が肝硬変で死にました。また、洪水は厄介ではあっても、上流から肥沃な土を運んできます。ダムの下流側では年々土地がやせ、人口肥料を加えないと農業生産が上がらなくなってしまいました。

規模は小さいですが、吾々が取り組んでいる湿地帯の場合も同様です。窪地に行き先のない水がたまり、農地が水没するだけでなく、濃度の濃い成分で不毛な土地が広がります。長い年月を経てできた自然の尾瀬とは異なります。吾々の場合、大きな原因は2008年1月にできたシェイワ用水路の取水口が災いしました。用水路沿いの住民が突然、多量の水を引き入れ、それまでほどほどにバランスを取っていた湿地に大量に捨てられ、行きどころのなくなった水で沼地が急速に拡大したのです。

PMS(ペシャワール会医療サービス)のマルワリード用水路がこれに拍車をかけました。吾が用水路はシェイワ用水路より20~25mほど高いところを走ります。灌漑面積は広がりますが、農地を潤した水はことごとくシェイワ用水路に流れ落ち、結局は湿害を大きくします。

工事の始った頃、いくら「沙漠化した土地の回復が急務」だとしても、私たちもこのことに無頓着だったと言わざるを得ません。日本で「環境アセスメント」を問われた時、「それどころではない」という焦りがあったのです。

そこで1年前から、「排水路の整備計画」が第二期工事と並んで進められてきました。要するに、利用された農業用水を、取水した河にきちんとお返しするのです。確かにマルワリード用水路の末端は自然土石流路からクナール河に帰ります。しかし、中途で使用される水はことごとくガンベリ沙漠末端の低地に溜ってしまいます。用水路と排水路は、光と影のように表裏一体です。同様に重要で、工期完了を前にさすがに焦りました。

しかし、水を求めるに急な人々やPMS職員は、殆んど関心を持ちませんでした。おまけに、私たちが建設した取水口で潤ったシェイワ用水路は、これまでになく多量の水を送りました。今春になってマルワリード用水路がガンベリ沙漠に到着、排水路問題が浮上してきたのが真相です。

相当な大工事を覚悟していたら、ここでも昔の人々に助けられました。古い大きな排水路が、ちゃんと適切な場所に作られていたのです。ずいぶん古いものです。セメントの代わりに漆喰を使ってレンガ積みがしてあります。偉大なものです。おそらく昔の為政者は農事に通じており、各地で積極的に灌漑路・排水路の整備を進めた形跡があります。しかし、近年になって、本格的な浚渫は何十年もされず、放置されていました。そこでPMSとしては、これを復活、取水・排水量に見合った拡張工事を行っています。

こちらの方は重要な割に、日本で話題になりません。現地でも、「湿地帯保護条約」を担ぎだして、工事を止める動きさえあったのです。

説明が長くなりましたが、この問題は灌漑以上に厄介です。単に排水路を作るのでなく、各用水路の取水量を調整せねばならず、しばしば土地所有問題が絡み、対立する村同士の協力が要ります。私たちが「陰の領主」と呼ばれる所以です。

さて、最近の動きです。


掘り始めて8ヶ月、沼地の水は1.5m下がった。ぬかるんで機械が入らぬため、住民70名を動員。向こうの林までが不毛な地となっていた。右側は復活した水田。
左は干上がった湿地



排水路は枝分かれしながら、上へ上へと進む。シギ村



湿害地の村。周辺の水田もイネの生育が悪い


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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