受信日:2010年04月07日



堰板の話

 「日本の伝統技術を取り入れた」という話が用水路建設にしばしば出てくる。その象徴として「蛇篭」が頻繁に引用されるが、独創性という点で述べるなら、堰板に及ばない。

 アフガニスタンでもパキスタンでも、水路に堰板は使われない。水門といえば必ず鉄製のスライド式で、明らかにコンクリート技術と共に入ってきたものだ。初めの頃、インダス川の支流・クナール川となれば、単なる木の板で激しい流水圧が耐え得るか、少なからず不安があった。
 しかし、振り返ってみれば、それ以前の問題があった。取水量の調節を水門で行う慣習そのものがなかったのである。日本の土木技術書には、「用水路内に洪水を取込まない」という鉄則が必ず記されている。それで、どうしても取水門の設置を想像したが、実は現地にないものを持ち込もうとしていたのだ。

 実際、着工に当たって、現地の水門を調べて回ったとき、取水門そのものが殆んどなかった。あったとしても、長い取水路の末端に飾りのように置かれているだけである。夏の洪水に対して、途中に余水吐きらしものがあって、増水すると自然に河にこぼれる仕組みになっている。間口を適切にとらないと、取水量が減り、河の低水位期に無理な堰上げが必要になる。更に、スライド式の欠点は、土砂混じりの底水を用水路内にとりこみ、浚渫作業に多大な労力を費やすことである。また、激しい流水圧をまともに受けるには、華奢に思えた。



日本で一般的な倒伏式の堰上げ法。福岡県・矢部川上流。
油圧で倒伏、堰上げ水量を調節する。コンピューターで管理されている。
現代的方式で、至る所に見られる。これは現地では無理だ。(2004年8月)


 下写真は、堰板方式とスライド式が併設された珍しい水路。左堰板、右スライド式。土砂が堰板の前に堆積しているのが解る。筑後市、矢部川流域にて。
 マルワリード用水路では、日本で見られる「倒伏式」は余りに高価で無理だし、コンピューター操作などは別世界の話だ。第一、電気がないのだ。そこで、堰板方式が浮かび上がってきたが、これも工夫を重ねて現在に至っている。


堰板方式とスライド式が併設された珍しい水路。


堰板の素材・ヒマラヤ杉

 レバノンの杉は旧約聖書にもしばしば登場する。その昔、ローマ帝国やカルタゴなど、地中海の覇者たちは、レバノン杉を切り出して戦船を盛んに建造したそうだ。これならいけると、この木材を使用することに決めた。


改良を重ねる

 最初、両脇に溝を設け、高さ10㎝、厚さ20㎝の角材を平積みにした。「木の板は弱い」という先入観だった。しかし、これは1年と使えなかった。理由は、重くて取扱いに難儀すること、水中で浮力が強くて浮き上がってくることである。


これが、初期に使用された角材。頑丈そうだが、浮き上がってくる。そのために
土嚢や鉄塊を置いて、大変だった(2004年3月4日)。
マルワリード用水路の取水口。

 そして文字通り板にしたのは2004年10月、川口が水門改造の担当になってからである。このときは高さ20㎝、幅5cmの板にしたが、それでも浮力が働いて、思うに任せなかった。そこで2.5mm厚さの鉄板を張りつけ、堰板同士の接合面にブチルゴムやラバースポンジを張りつけ、密閉性を工夫した。しかし、ラバーは剥げやすく、漏れが返ってひどくなる。最終的に鬼木の発案で、加工場でまっすぐにカンナをかけてもらい、板同士の密閉性を図る方がはるかに優れていた。
 この頃制作してから5年以上、腐食は見られない。この方式は、その後シェイワ取水口、カマ取水口で採用され、優秀な結果を得ている。

 もう一つの問題は、堰板のつり降ろしであった。この方は橋本が現地の井戸掘りの際に使用されたチャルハ(ロープを巻き取って引き上げる道具)を採用した。特に下段の板は強い水圧で門に張りつき、並みの力では無理であった。ネジ式のバルコンのようなものも試作したが故障が多く、結局チャルハに落ち着いた。


4㎝厚の板に3㎜の鉄板を張りつけ、フックを溶接でつける。ロープの先の鉤を上手に引っ掛けて巻き取り器で引き上げる。多少練習が要るが、結局、これが
最善だった。必要水量に応じて、板をぬいたり降ろしたりする(2010年3月22日)。
カマ第二取水口にて。



堰板を巻き取るチャルハ。井戸掘りの際、これで巨石をつりあげた力持ち。これはアフガニスタンの伝統技術だ。人々が慣れている道具が一番使いやすく、
長く維持できる(2010年3月22日)。カマ第二取水口。


地元の評価

 マルワリード用水路の取水堰と取水門は国道(Kunar Road)の脇にあり、人目を引いたので何かと噂になった。地元とカブールとでは評価が異なっていた。カブールの灌漑局が下見に来た折、「水門の改善命令」が出されたこともある。野暮ったく見えたらしい。一方ジャララバード側では、ニングラハル州灌漑局から派遣されていたカリール技師が、2年間PMSの監督に混じって職員同様に働いていたので、理解が早かった。
 これがニングラハル州一帯で衆人の認めるところとなり、実際に洪水と渇水に悩んできた村民たちの間では評価が定まった。アフガニスタンでも、こと技術に関しては専門家の間で「舶来もの信仰」が強く、伝統技術が評価されにくいきらいがある。しかし、用水路内に洪水を取込まず、必要なだけの取水量を調節する機能は革命的なものであった。電力の普及とコンピューター管理が及ばぬ場所では、単純素朴であっても、見かけより実際の機能こそ重視されるべきだと考えている。たかが堰板一枚と思えようが、その果たした役割は甚だ大きかった。


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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