受信日:2010年04月08日



復活の村

 カマ郡の取水堰建設はくりかえし述べてきました。マルワリード用水路やマドラサ建設の話題に隠れがちでしたが、これも大きな仕上げの一つでした。昨年、「カマ取水口シリーズ」で詳細を伝えましたが、その最終回(No.6)です。

 4月7日、カマ郡のシューラ(長老会)に「ともかく、(PMS取水堰の)結果を見てくれ」と言われ、足を踏み入れました。2008年12月に第一取水堰、2009年12月に第二取水堰の本工事に着工、2010年3月に竣工式を行ったところまでお知らせしました。最後の報告は、その結果です。
 改めて驚いたのは、その耕作面積の広大さです。郡長の話では、公称7,000ヘクタール(=70㎢、東京ドーム約1,500個分)です。ちょうど柳川市ほどの広さですが、その殆んどが耕作地なのです。ゆけどもゆけども小麦畑です。確かに稀に見る豊かな穀倉地帯で、「ここが壊滅したらどうなっていただろうか」と、同行した職員たちと顔を見合わせました。人口が30~40万人というのは、誇張ではなさそうです。

 民心は一般に温和で礼儀正しく、全体に教育程度が高い印象を受けました。しかし、独立心は旺盛で気位が高く、村同士がよく統率されているようです。往時のソルフロッド郡によく似ています。外国軍への恨みは深いですが、それを余り口にしません。大人に見えました。それでも、昨年の「コーラン侮辱事件」に憤りを露わにし、長老たちが「アフガニスタンに政府はない。もう欧米の援助を当てにしない。できるだけ自力でやる」と、きっぱり述べました。きっと苦い体験もあったのでしょう。
 シェイワ郡と異なり、同郡全体はパシュトゥ民族のモハマンド部族で占められ、パキスタン領の「モハマンド自治区」と連続しています。単一部族のため結束しやすく、村同士の争いが非常に少なかったのだと思われます。現在、一昨年度からの努力で、荒地は消滅しましたが、高地には行き渡らぬ場所もあり、調査と取水量の調整を行っています。



カマ第二取水堰。この堰が同郡の6~7割の耕地を潤す。(2010年4月7日)



ゆけどもゆけども麦畑が延々と続く。排水路がよく整備されていて、村々を縦横に潤している。大きな木々が多いところを見ると、ずいぶん古くからある村々らしい。



 カマ郡の最も高い所にある崖沿いの水路。この10数年間枯れていたのがよみがえり、畑が復活したらしい。今や全ての分水路に水が流れ、渇水を心配する必要がなくなった。3年前まであった荒地は、なくなりつつあるそうだ。昨年第一取水堰が
完成してから、夏の水稲栽培が飛躍的に増えた。農家によれば、「小麦・水稲
共に、熟成時期の灌水が困難だったが、2つの取水堰が出来てから、
安心して作付けができる」とのことである。



 カマ郡高地には、荒廃した時期の面影をとどめている場所がある。十分な送水を行えば立ち直れるそうだ。放置された高地は約600ヘクタール以上はあるが、
回復は時間の問題となった。



カマ第一取水堰。高地への分水路を確認して大量に送水している。4月7日現在、第一取水口から毎秒4.8トン、第二から5.0トン、総計毎秒9.8トン(1日約85万トン)が送られている。マルワリード用水路の2倍以上に相当するが、
耕地面積を考えると肯ける。


 かくて、ニングラハル州北部全域の乾燥化防止と緑化計画は、終局を迎えつつあります。大きな課題であったカマ郡が片付き、残るはカシコート村だけとなりました。ベスード郡のクナール河沿いの堰は、PMSが完成した矢先に、他外国団体からのカネが入り、ずさんな工事で一旦崩壊、現在別の業者が入っているようです。いずれ問題になるでしょうから、手を出さずに静観しています。ダラエヌールについては、残念ながら、用水路の恩恵が及ばず、ソルフロッド郡と同じく乾燥化を免れません。井戸水、カレーズの水位は下降を続け、数年以内に人が住めなくなります。
 今振り返れば、国際援助の側から「農地の乾燥化」がほとんど問題意識に上らなかったという現実があります。外国人は、「アフガンの大干ばつが10年前に終息した」と考えている節があります。一つの原因は、一般民衆と一握りの知識層・有産階級との間の絶望的な格差、意志疎通のなさがあります。彼らはまるで、互いに別の世界に住んでいるようです。もう一つの原因は、「余りに日常的な事態は話題にならぬ」という避け得ない問題があります。それで、誰も手を染めなかった。たとえ手を染めても議論のレベルだったということも反省すべきでありましょう。
 それでもクズクナールはまだマシな方で、中堅の中小地主の協力が力となりました。マルワリード用水路によってもたらされた3,000ヘクタールの農地回復は、人々に大きな励ましと慰めを与えました。

 戦争ではなく、環境変化=水の問題がアフガニスタンの命運を決めるでありましょう。
動植物は、自然の変化に敏感に反応して適応、生き延びる術を見いだします。「人間は自然の一部である」という、古くて新しい命題があります。人類があと何万年生き延びるか、小生ごときが予測すべくもありません。だが、「『アフガニスタン』は世界的な破局の前哨戦にすぎない」と述べるのは、自然と人間とのトータルな関係を、根源的に問い直せということです。

 今、ガンベリ沙漠約1,000ヘクタールのうち、198ヘクタールのPMS耕作地を確保すべく、徐々に開墾が進められています。アフガン全体から見ればごく小さな領域でしょうが、これが私たちの一つの試みであります。作業員550名、職員150名、この小さな集団が水を得た魚のように生き生きと働く、その姿に大きな希望を託し、今後の計画を着実に成就させたいと考えております。 小生の下手な現場報告は、これが終りです。
 お読みいただき、どうもありがとうございました。
今後とも、御協力を宜しくお願い申し上げます。



見渡すばかりのスイカ畑。スイカの後はトウモロコシ、小麦が作付けされる。
2010年4月5日。PMS第二試験農場。



確実に成長するスイカの苗。日本、韓国、中国、アフガン種ら5種類を植え、毎日作業員に食べさせる予定。育ち方、味、生産高などを調査、この地域の最適種を
トーナメント方式で決める。穀類も同様、試験農場だけで作業員が十分
自活できる。必要なのは農業の研究ではなく、食糧増産で生存することなのだ。


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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