受信日:2010年11月18日


事務局のみなさん、

 11月も半ばとなりました。15日から当地は犠牲祭(イーデ・クルバーン)に入り、突然静かになりました。この日ばかりは争いごとを絶ち、親族が一堂に集い、祈りを捧げ、屠った羊を食べ、天への忠誠を誓い、貧しい者への施しが奨励されます。

 実際には、昔の日本の正月とほとんど同じです。少しお歳をめした方なら、40~50年ほど前の年末年始を思い出して下さい。御用納め、大掃除、御馳走の準備、年始回り、お宮詣でなど、驚くほど似ています。親族の絆を確かめる機会でもあります。血族が集い、子供たちが群れて遊びます。

 ダンプカーの運転手のうち、遠方から来ている者は早めに無断で脱走して帰郷、まる1週間は仕事が止まります。仕事始めは11月20日からですが、重機・ダンプの運転手が出そろうのは、さらに数日かかります。

 逃げ出すように日本を発ちましたが、特に今年は世紀の大洪水もあり、厳しい冬になりそうです。ニングラハル州全体で数百名が死亡しただけでなく、土地を失った農民たちが国内難民となり、河沿いの農村は絶えず怯えて暮さねばなりません。

 2月下旬の増水期まで、限られた工期で膨大な仕事量をこなさねばならないからです。しかも、今年はカマ取水堰の完工と並んで、対岸の護岸4㎞を絶対に成功させねば、夏の洪水期に大きな被害が確実に出ます。  そこで、日本人を事務方2名(村井・杉山)、現場方2名(鈴木・中村)に絞り、身を軽くし、大半の重機と連戦練磨の作業員を多数投入、あと3カ月でカマ取水口、堰、主幹用水路1㎞、調節水門を完成させ、対岸ベスードの4㎞にわたる基礎護岸を終えねばなりません。

 カマ用水路は少しずつ形がついてきていますが、護岸は再調査の後に1.8kmから4.2kmに延長、現在やっと2㎞の交通路敷設ができただけです。これに対岸住民同士の折衝が必要で、こちらは行政と協力、渉外の仕事が加わります。加えて、マルワリード用水路の取水堰背面の傍流発生で水位が低下、取水量が著しく減り、12月までにガンベリ沙漠の開拓は不可能となります。排水路の整備もまだ半ばと言えるでしょう。こちらも手を緩めることができません。

 厳冬を控え、賽は投げられました。カギを握るのは石材輸送と財政です。このため、ダンプ50台態勢をとり、掘削機8台、削岩機(ジャックハンマー)2台、舗装用ローラー3台、ローダー2台を投入、12月を期して大攻勢となります。

 工種は捨石工が主ですが、河道分割、導流堤、石出し水制、霞堤を駆使し、まさに日本の古典的な治水技術のオンパレードとなります。また、3カ月半という自然の時間的制約は、人間の意のままになりません。できる事とできない事を考え、流方向の変化、洗掘防止(浸食拡大阻止)に限定、増水期には余裕高に基づく堤体上部の工事を続けます。

 もし失敗すれば、わがPMSも致命傷を負います。そうならぬよう、力を合わせて実現し、併せて良心的なJICA側と立場を超えて協力を尽くし、良き結果を以て誠意を示したいと思います。
 しかし、将来の展開を考えると、東部全体の渇水問題を解消する仕事は、単独では不可能、その「モデルケース」を作る意味でも、今冬の仕事は重要な局面だと言えると思います。
 ご協力に感謝します。



今週の話題は、何といっても、ガンベリ沙漠で小麦畑が確実に芽吹いたこと。
もはや沙漠ではなくなりつつある。職員たちも、満身に笑みを浮かべて喜ぶ。
小麦畑の間の溝は、スイカの植え付けのため。ガンベリ地域でとられる独特の方法。
2010年11月13日



ベスード側河岸に甚大な影響を与えた問題のカマ側護岸突き出し。遊水地を囲うもので、
日本なら警察に逮捕されるところ。出資者の外国軍筋と施工者に対して
忍耐の限界はもう超えた。カシコート村の主流閉塞以来、長年PMSが
後始末に膨大な時間と予算をつぎ込んできたからだ。
ここはさらに我慢の一手。住民と行政レベルの外交解決が近道で安価。
御礼はいずれ住民自身が与えよう。11月12日



マルワリード用水路取水口・堰の現状。
堰は頑丈だったが、中洲の流失まで考えなかった。護岸工事の背面の部分がきれいに
えぐりとられ、傍流が発生している。もともと砂の多かった中洲で、流されやすかった。
対岸の十分な調査を怠ったツケ。間もなくマルワリード用水路全域で水供給が停止する。
12月中旬の最低水位を待って一挙に処置せねば、3000ヘクタールの小麦収穫が危ぶまれる。
2010年11月13日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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