受信日:2011年1月22日


事務局のみなさん、

 日本は寒いそうですが、当地は春めいてきました。
河川工事はカマの第一、第二堰が終局を迎え、来週からベスード護岸工事に力が入ります。通水試験は、一部の漏水個所を除き、成功裏に終わりました。1月27日までに途切れない流れとます。

 長いことカマを離れられませんでしたが、シェイワの湿害処理も着々と成果を上げており、多くの村々が救われています。こちらの方は地味な仕事で、余り知られませんが、用水路建設に優るとも劣らぬ大事な仕事です。最近、久しぶりに見回りに行くと、その目覚ましい進展は驚くべきだと思いました。小さい分岐路も合わせると膨大な長さで、10kmまで数えたところで報告がなくなりました。いちいち長さを測っていると仕事が進まないのです。おそらく数十キロメートルになっているのではないかと思います。そのほとんどが手掘りです。

 最近の印象的なできごとは、チュクレイ村の湿害処理で、村人の大歓待を受けたことです。村々の利害対立はどこも同じですが、目下の調整は排水路の整備をめぐるものです。ガンベリ沙漠の南側に隣接するシギ村落群では、シェイワ村落群と長い対立感情があります。以前は水争いが多かったのですが、豊富な送水ができる現在、湿害が焦点となっています。主な原因はシェイワ取水口の建設(2008年)で、過剰送水となり、湿地が増えたことは、これまで報告してきた通りです。この理由は、

①自然の川際で水量調節する習慣が現地になかったこと(取水方式の違い)
②各村の利害調整をする権力が長いこと不在であったこと
③現政権や国際支援が農業生産回復に余り熱心でなかったことなどに拠ります。

 そこでシェイワ取水口をPMSの手で管理し始め、旧シェイワ分水路末端地域に貯留していた水の排水路整備を進めています。これをやらないと、ガンベリ沙漠開拓は成り立ちません。開拓しただけの分が、下手の村落で湿害を起こして失われるでしょう。幸いと言うべきか、昨夏の大洪水でシェイワ取水口に土砂が堆積して機能を停止しており、シェイワ郡全域がマルワリード用水路1本で潤されています。つまり、冬はシェイワ用水路は要らないということです。現在、冬の取水をマルワリードだけとし、その間に切り替えを図ることです。

 大静脈に相当する主幹排水路は思い切り低くとっているので、湿害で悩んできた地域と結べば大抵のものは処理できます。問題は、各村が排水路を作るわずかな土地の提供を嫌がり、話が進まないことです。それでも、各村との粘り強い個別交渉で何とか目標は達成されつつあります。この教訓を生かして、ガンベリ沙漠の開墾が進む前に、もう一つの大静脈(約5㎞)の建設時期を早め、1月22日から着工を決定しました。農地化してからでは遅いと判断したからです。農業復興と一口に言っても、いろんな問題が出てくることを改めて知りました。
平成23年1月21日



ガンベリ沙漠第一農場。一面の小麦は30ヘクタール、他の新たな開墾地十数ヘクタールは、
菜種とシロツメクサを植えている。さすがに広いが、沙漠の面影は徐々に消え、
早春の人里に近くなってきた。2011年1月19日



シギ村落群を貫通してクナール河に戻る主幹排水路。洪水に備えて護岸壁を強化しながら
徐々に進められている。目立たないが、灌漑の陰の立役者。
湿害処理を可能にする大静脈の意義は、取水口や用水路建設に優るとも劣らない。
2011年1月8日



湿害で耕地を失っていたチュクレイ村。人口1,000人前後の小さな村だが、
隣村が排水路を与えてくれず、1年半の話合いは平行線であった。(2011年1月8日)
この翌日1月9日に仮排水路掘削を始め、隣村を経由せず、約200mで主幹排水路に直接導入。
わずか10日で耕地の半分以上を回復。異例の変化に皆喜び、さらに作業が進められる。



仮掘削の排水路。余りの急な変化に狂喜した村民は、吾々を歓待、この日は御馳走に与って、
喜びを共にした。小さな交通路と1m前後の排水場所の提供さえあれば、ことは片づく。話合いだけではなく、実績を見せれば皆納得する。2011年1月19日


★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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