受信日:2011年2月3日


事務局のみなさん
お疲れさまです。

 当地は春めいてきましたが、増水を思うと気が気ではありません。
カマ、ベスード共に、ようやく見通しがついてきました。
カマは3月下旬に竣工式が行われるよう、手配しています。
護岸工事は今一息です。しばらく間がありましたが、報告を送ります。カマ取水口の方は、明日写真を送ります。



冬の工事の終局段階と地域対立の解消

 今年の河川工事は、終盤を迎えつつあります。カマ第二取水口は、仕上げの段階に入り、来週から植樹のグループが仕事を始めます。対岸のベスード護岸工事が技術的かつ社会的に大きな問題を抱え、難題の連続でしたが、2月2日になって、ほぼ先が見えました。

 護岸は総距離が3.5㎞(交通路を加えると4.1km)ですが、1,700m地点からカマ側の護岸突き出しで大きくえぐられ、大きな半円状となっています。昨夏の大洪水でさらに深く湾曲し、今夏は平年並みの水量でベスード郡東部に主流がつき抜けるだろうと思われました。その状態を抱えての工事で、カマ側からせり出した護岸を後退させるのが一つの絶対条件でありました。

 これは、外国軍筋が出資者らしく、泣き寝入りのまま工事を進めていたことは、報告してきた通りです。いつも協力的である灌漑局でさえ、扱いにくい問題のようでした。そこで、1月下旬からベスード側の河道の分割処理に入りましたが、わずか1㎞に満たない距離で5m以上の落差があります。下手に扱うと、大変なことになります。できないことはありませんが、2月下旬には増水が始まり、作業が不可能になります。その工夫に悩んでいたところ、関係責任者が現場で一堂に会する機会を得ました。州政府、米国系NGOと請負責任者、らが全て同日・同時刻に偶然、出そろったのです。おまけに、JICA(ジャララバード)のアフガン人職員も見に来ていました。

 みなカマの取水口と主幹用水路に興味を示してきたのですが、折も折、河の真っただ中で悪戦苦闘の最中、運転手がすかさず機転を利かし、問題の現場を見てもらいました。米国側の技術者、請負会社社長、州当局者は、現場を一目見るなり、当方の要望に肯いてくれたのです。既に問題の護岸壁は50mほど遠ざける工事が始まっていましたが、大洪水で堆積した砂州の処理が争点になっていました。「護岸壁から1.5m離れた場所は自由だ。明日から工事を始めてよい。現場を見て分かった」との、好意的な対応でした。

 外国人らしき者が車から降りずに見ていたそうです。噂が本当なら、どうもベスードで出くわした米国人ではないかと思いました。5日前、ベスード出身の前保健所長が3名の外国人を連れて護岸を見に来ていました。日本に留学研修に行ったアジュマル医師です。驚いて尋ねると、休暇で一時帰国しているとのこと、警官1名を連れ、男性1名・女性2名の若い米国人が一緒でした。彼らは、以前の状態を詳しく知っていて、「大変良くなって驚いた」と、好意的に話し、素直に喜んでいました。

 日付を見ると2月2日、節分の日です。文字通り「福は内、鬼は外」のめでたい日となりました。間際の逆転劇、偶然なのか、セットされたのか分かりませんが、作戦を急きょ見直し、来週から冬の護岸工事の最終仕上げ態勢となります。護岸工事もまた、用水路に劣らず地域紛争の種となります。今度はカマ側住民から不安の声が上がり、反対の陳情が来ます。ベスード側はベスード側で、村ごとに利害の対立があり、その調整にジア先生以下、職員たちが走り回ります。河を扱うことは、地域の利害対立を治めることでもあるようです。



現地の適正技術と日本の治水

 全体的に見て、アフガン農村は気候変動のあおりをまともに食らい、何らかの治水技術、特に取水技術の改革が求められていた時期だったのではないかと思い当たります。急流河川をいただく地理的条件が日本と良く似ており、中世日本で確立された技術が生かされたのは、決して偶然ではなかったことを知りました。堤防工事でも、かすみ堤、羽衣堤、河道分割処理など、いずれも武田信玄や加藤清正の時代に確立されています。

 植林ひとつをとっても、そうです。かつての日本の堤防では、堤の内外に植樹をして河川の氾濫を和らげたそうです。しかし、明治政府がオランダ方式を採用して植えさせなかったと言います。大陸平野の河川と急流河川をかかえる日本とでは、方法が異なっても不思議はありません。水の問題は古くて新しい問題であり、人口増加と気候変動、地域紛争に悩まされながら、人々が生きのびる事業であることを知りました。おそらく、治水にかけては、当時の日本は世界一の技術水準にあったのではないかと思いました。

 御先祖様が長い期間をかけて得たものを僅か8年で模倣できませんが、今回のカマ取水口の完成は、「現地に適った技術」という点で、画期的な「新技術」を提示するのではないかと思います。自然の変化----河川の極端な水位差に従来方式が通用せず、農業生産力の低下を生み、食い詰めた流民が増え、戦乱に拍車をかける。この構図が日本で収まったのは、灌漑を含む治水技術の改革=農業生産増加が一つの大きな支えになったのではないかと考えています。

 その意味で「カマ取水口」は、現地活動の、一つの頂点を顕す仕事でした。第一・第二取水口から村の入り口まで、僅か1,420mの間に、これまでPMSが培ってきた全ての取水・灌漑技術が網羅されているからです。また、対岸のベスードの護岸工事も、適正技術を持ち込んだことになります。生きるに必要な技術は自ずと広がるものです。仕事は半ばですが、私たちが絶えても、遺こる事業が人々を豊かにすることを願って、励みにしたいと思います。

 竣工式は3月中旬か下旬です。小生は増水の始まる2月下旬まで、最後の基礎仕上げと、夏の工事の準備を行い、3月の竣工式に備えたいと思います。
平成23年2月3日



左岸カマ側から眺めた1,700m~3,500m地点までの全景。
渇水期の河道(低水敷)で主流が4つに分かれ、うち3本が
ベスード側の低地に浸入しているのが分かる。全体が半円形で、この短い区間で
落差が5m以上あり、今夏は洪水でなくとも河沿いが侵されるのは確実。
カマ側の護岸のせり出しが影響しているのは明らか。こちらの方が手を焼く。
旧河道をできるだけ復活し、ベスード側への水量を減らし、石出し水制で沿岸に土砂を
堆積させる。だが、実際の工事はなまやさしいものではない。技術面だけでなく、
限られた工期で、住民同士の抗争を収めながら進めている。利害を調整できるまともな政府が
ないのだ。2月下旬までに今夏の被害を避ける手を打たねばならない。
1,700m地点から不連続に堤防を延ばし、ベスード側への洪水を分割して閉じ込める。
護岸線を思い切って後退させて遊水地を広くとり、高い堤防を造成中。2011年1月31日





PMS護岸工事要図




★Dr.T.Nakamura★
中村 哲


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