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カシコート準備工事
河道移動を終えて交通路敷設を開始
~シェイワ郡シギ地方下流域へのサイフォン建設開始
シギ長老会・灌漑局と鍬入れ式~

2011会計年度も、最後となりました。事務局の頑張りとJICA共同事業の進展で、無事に財政難と予定工事を乗り切れたことにホッとしています。
現地から見ると殆ど奇跡のように思えます。それだけでなく、現地事業の動きも決して小さくはありませんでした。
カシコート計画の開始は緑の大地計画の仕上げとして、シギ下流域の灌漑は、同計画の重要部・マルワリード用水路の仕上げとして、大きな一歩を進めました。

今年度の主な仕事は以下の通りです。

(河川・用水路関係)
1、ベスード第一取水堰の着工と完工
2、カマ対岸・ベスード護岸3.5㎞の完工
3、同護岸工事でベスード郡タプー地域の灌漑(取水設備と主水路)
4、カシコート地域、河道移動工事(2012年度堰・護岸準備工事)
5、シェイワ取水堰・河道回復工事
6、マルワリード用水路・ジャリババ洪水通過路の全面改修

(ガンベリ沙漠開拓関係)
1、給水塔2基及び樹林帯水やり水路の建設(防砂林保全・拡張)
2、ガンベリ主幹排水路建設(計6㎞,うち第一・二は完成、第三は工事中)
3、果樹園造成の着手

現在、主力はカシコートに集中、増水と競いながら、白熱戦です。

去る3月27日、シギ長老会の大幅な歩み寄りで、シギ灌漑計画が始まりました。
これは、①マルワリード用水路からサイフォン建設によるシギ村落への送水、②シギ取水堰改修工事の二つから成っています。
目的は、前者が灌漑で、後者は水量調整です。シギでも多くの難民が帰農し、驚くほど人口が増えています。

シギに限らず、最近の顕著な印象は、農村部を中心に静けさが戻りつつあることです。年末から2月にかけて一連の外国軍の不祥事後、外国人が地域から消え、実質的な援助活動が停止し、ISAFの治安権限移譲と撤退が大きな流れとなったことと無関係でないようです。ここ1~2年見られなかった状態です。

逆説的ですが、「もう誰も頼りにできない。自分たちの故郷は自分たちで守る」という自立心が、強くなっているように思えます。特に農村部でこの傾向が強く、おそらく意外な展開になっていくと思います。

この一年、大震災を経て、現地・日本共に、苦しいことが多くありましたが、来年度へ向けて着実な歩みを振り返って感謝し、改めて日本の皆様の努力にお礼を申し述べます。

平成24年3月31日 記

ガンベリ砂漠及びシギ地区マップ

春の訪れは、小麦の緑の絨毯と共にやってくる。今年もジャララバード北部は、小麦の大豊作。写真はマルワリード用水路P区域からの眺め。湿地帯が完全に消え、広大な麦畑(衛星地図上で約600ヘクタール)に変わっている。
2012年3月28日

クナール河の水位は、日に日に動揺しながら確実に上がっている。何とか滑り込みで河道変更の砂州移動を終えたが、続いて交通路1.5㎞を確保し、左岸人口砂州に根固め工を施し、本格的な堰と護岸工事に備える。日中の作業現場は陽射しが厳しく、摂氏28℃、真冬から突然初夏の気候だ。
2012年3月27日

埋めつぶされた旧主要河道の湾曲部。いつの間にか木々の新緑が鮮やかとなり、春を謳歌する。ここに激流の大河が岸辺を洗っていたとは思えない。みな眼をこすって見る。見物の村人も見かけない。それだけ日常になったのだ。しかし、迫り来る増水に、工事は却って白熱化している。
2012年3月29日

下流側の堤防から望む。埋立で出来た人工の砂利の岸辺に水制を並べ、洪水破壊線に沿う堤防に連続させる計画。4基が高水敷に埋設して設置され、河岸浸蝕防止の一端を担う。先端だけが数メートル破壊されて残り、連続して河床を下げ、岸辺を流れから遠ざける。決定的なことはひと夏を越してしか言えないが、経験上、成功率は高い。これによって、流失した用水路の一部が間もなく回復する。秋に工事が始まっても、カシコート上流は水稲栽培を保障できる。
2012年3月29日

旧河道の埋め立て作業はまだ続いている。末端200mほどが深く(水深3.5~4.0m)、砂州の砂利も尽き、2.0㎞離れた谷から土石を輸送する。水の仕事は見えないのが難点で、小さいと思えても予想以上の物量を要することが多い。あと一週間で終えないと、次の工程に進めない。
2012年3月29日

旧堤防の撤去・移動が始まった。橋のぎりぎりまで移せば、川幅を約30m広げることができる。堤防高は問題なかったが、決壊した部分(写真正面)から洪水が村落に進入したものだ。理は当然水にあり、こんな狭い場所に河を閉じ込めたからだ。ともかく開放して水通しを良くする。
2012年3月29日

外国軍ヘリが連日飛来して、壊れた橋脚を目標に発煙弾を投下してゆく。緑、黄、紫と、色はさまざま。河は当然汚染され、住民は迷惑そうに眺める。女子学童が機銃掃射されたのもこの近く。目的は不明だが、傍若無人は確かだ。戦争は良くないが、「敵ながらあっぱれ」というのが無いのも、この戦の特徴。橋も放置。「外国人がくれば村が荒れる」と、住民たちは話す。暴力による威信は自滅した。
2012年3月27日

シギ・サイフォン(260m)の着工式。灌漑局は熱心に見守ってくれる。10年間務めたディラウェル・カーン灌漑局長は3月4日に退任、新局長と共に出席した。「最近東部で仕事をしているのがPMSだけとは、さみしい話で・・・」と、述べて去った。
2012年3月27日

ベスード護岸2250m地点に置かれた取水口工事は、柳枝工を除いて完了した。これによってベスード郡タプー地域は洪水被害から免れると共に、多くの村々が安定灌漑の恩恵に浴した。後は植樹、交通路整備などで、4月初旬に護岸工事全体の完工式が行われる。
2012年3月27日

ベスード護岸は長かっただけに、後始末も手間がかかる。堤防への交通路の造成工事。
2012年3月28日

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