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~3月24日報告(続)~

河川工事の緊迫ばかり伝えるので、「さぞや苦しい難行ばかり」と思っていませんか。でも、実際には様々なできごとが同時に、嬉しいことも辛いことも、起きている日常があります。最近の出来事をいくつか紹介します。クリケット・マッチの観戦。カシコート各村の子供会や青年団が企画し、ぜひ来てくれと招待された。小生が来るというので、騒ぎが大きくなり、沿道に子供たちが並んで日章旗を振り、盛大に出迎えられた。外国軍の干渉さえ入らねば、何もややこしいことはないのだ。
2012年3月24日

PMSの首脳陣がそろって観戦。10ケ村代表のトーナメント決勝戦。クリケットのことは良く知らないが、作業場の近くなので断れず、好意を受け、子供たちの元気づけにと出席。
2012年3月24日(職員撮影)

この日はカシコート地方の中流の村が優勝。「PMS杯」が与えられた。
2012年3月24日(職員撮影)

今年の春一番は、アフガニスタンでは初めての台風並み、強烈なものだった。6か月以上かけた試験農園排水路1.2㎞は砂で埋まり、賽の河原のような作業がくりかえされる。長さ1200mの復旧は容易でないが、短期間に予定通り仕上げるのが、どだい無理というもの。一喜一憂していると身が持たない。自然のペースに合わせてアリのように動くだけだ。
2012年3月24日

ガンベリ沙漠開拓の心臓部がここ試験農場C1ブロックだ。一木一草なかった月面のような沙漠は、ここを拠点に緑が拡大してきた。蛇籠や土管・どぶ板らの生産、鉄筋加工、育苗場などが置かれている。常時二十数名の作業員は準職員待遇で、文字通り熟練工。伊藤くんの石碑もここに置かれている。
2012年3月24日

植林が進んだ区域では、砂嵐被害がほとんどない。かつて苗木は購入していたが、用水路に必要な木々は、全てここで育てている。気が長くなったのだ。写真はクワの木。種から育てたもの。その他、挿し木、接ぎ木、とり木、何でもできるようになった。なお、2010年度報告で、「11年度内に100万本突破」と記したのは誤りで、2003年から現在まで、確実な植樹数は約65万本です。100万本は2年後と見ています。誤りを訂正します。
2012年3月24日

ユーカリも種から苗を作る。一年ほどで移植できるほどに育ち、乾燥地でも湿地でも活躍する。
2012年3月24日

「最期の試み」と執念を燃やしていたのがレンゲで、村井くんが事務所の菜園で見事に花を咲かせた。土や湿り気、種の播き時期など、現地の気候風土に合わせる工夫はまだ研究の余地が多いが、「ややこしいことをせずとも、とにかく咲く」。5年をかけて、この実証は大きい。
2012年3月19日 (村井撮影)

紹介しようとして、つい仕事の報告ばかりで、忘れがちなのが人里の様子。シェイワ分水路末端、マドラサ近くで毎週日曜に立つ家畜市。近隣農家で育てられた家畜が取引される。主に乳牛と肉牛が売買される。近くにあるシェイワ・バザールは、ジャララバード北部最大の活況を呈している。無人の荒野は完全に消え、パキスタンからの難民が大量に帰還し、農地の復活と共に草地も増えたのだ。マルワリード用水路のもたらす水の恵みに目を見張る。
2012年3月24日

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