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カシコート、堰造成本格化
~12月3日に第④河道架橋、12月5日に第⑤河道開通予定
マルワリード流域、水利組合に行政が公式に参入
カシコート自治会が各勢力に圧力、「PMS保護」を指示~

先週から、ほぼ全力を川辺に投じ、工事は現在がピークです。主力は堰造成(第③河道の埋立て、第④河道架橋、第⑤河道造成)に集中、連日膨大な物量が投入されています。

職員、作業員の気迫はすばらしく、これに呼応するジャララバード事務局の動きも組織的かつ機敏です。カマ橋から20㎞、悪路の輸送にも拘わらず、資機材は遅滞なく供給されています。
以前の弊風であった現場と事務局の乖離は、完全に克服されました。ジア医師が頻繁に現場を訪れ、現場からは事務所に直接資機材の調達、資材蓄積を要請します。時宣に適って行政と接触、行政側は灌漑局を中心に積極的に協力、地域自治会は背後から各勢力に圧力をかけ、工事を守ります。
現地活動の成果が、一挙に集中する構図ともなっています。かくて、決して報道には現れぬ底辺の人々の、無言の圧力が躍り出て、それが実のある力となって動いているのが良く分かります。

11月5日の対岸からの砲弾は、政府軍と武装勢力の交戦中、誤射で飛んできたものでしたが、射手は厳重に注意されました。
このようなアフガン農村社会の様子は日本に伝わり難くなってきましたが、もともと都市近郊を除けば、東部アフガンは「無政府状態」だったのです。特にカシコートのような貧困地帯は、政府・反政府を問わず、兵員の供給地帯で、彼らは地縁・血縁の絆で強く結ばれています。これを律するのが地域自治会で、依然として秩序の要であることは案外知られません。

ともかく、ここ一週間ほどで命運が定まります。周辺の動きも、PMSの働きに応じ、事態が決します。
小生はセメント配合比の管理、日々の石材輸送、籠の生産調整、重機の配置、大は行政や自治会との話し合い・資金ぐり――――大小一つ一つの多様な動き、そのどれが欠けても工事は失敗します。しかも相手は大河川、こちらの思うようには行きません。常に臨機応変の対応を迫られます。

郷に入っては郷に従い、河に入っては河に従う。それだけのことですが、働いていると、だんだん解説が面倒になってまいります。喋れば喋るほど、用事が増えてきます。明確な定義と矛盾のないマニュアルを強要する文明が煩わしくなってくるのです。それでも、せめて実状を言葉で伝えて恩に報いるのが、やはり支えられ側の礼儀というもの。
この週報が唯一の日本とのつながりだとこころえ、報告を続けます。舌足らずですが、分からぬ点があれば、何なりとお尋ねください。

平成24年11月30日 記

作業場が川べりに集中、手前から第⑤河道、護岸壁、取水門、第④河道、中州復旧、第③河道閉塞の、各作業。

一連の「カシコート堰」として姿を成してきた各作業区。
河道という説明で混乱したが、皆もやっと納得。大物は正面の第③河道の一時閉塞と交通路確保、そのための第④河道の架橋工事だ。
2012年11月28日

完成間近の第④河道仮架橋。
橋脚の上に22ミリの鉄筋を密に組み、20㎝の角材を2段に積む。コンパネを敷き、釘で角材に打ち付けると、分厚い板が二段に重なる形となる。
我流だが、重機やダンプは安全に交通できる。増水期に撤去し、夏は水面下に没する。つまりは改修用に設けた臨時交通路。
2012年11月29日

モンスーンの到来。霧が立ち込め、小雨や霧雨の日が増えてきた。
作業は休みなく続けられるが、雨の日はコンクリート作業ができない。本格的な雨期を12月中旬と想定、急ぐ。
写真は第④河道仮架橋の下流側の護床工と水叩き工。相当な激流が通過するので、これでもか、これでもかと基礎を強くする。
2012年11月29日

同架橋上流側の護床工。
本体と不連続にして、同様の基礎工事を行っている。
2012年11月29日

水叩きを入れると22×30m四方の基礎工事は、小さなPMSにとって膨大な物量。
「これが見えなくなるのか」と、皆少し残念そう。でも、物量が確かに大きかったが、作業能率も驚異的だった。実作業日数19日。これに対岸処置(=河道③工事)の望みを託す。
2012年11月29日

中州の復旧は約半分が終わっている。
第③河道を埋め立てながら、少しずつ進む。最終的には長径100m、短径90m以上の反楕円形で、取水口床面からの高さ約1メートル、堰の一部となる。
2012年11月29日

嵐前の第④河道。
中洲末端は上流先端から100m、旧中洲流失で発生した中心の河道を二つに割り、両側に河道③,④が形成される。
うまくゆけば河道③は埋めつぶされ、浅い流れとして残り、中州が元のようにマルワリード側に接着する。島の中央は浸透水の臨時排水路。
2012年11月29日

中州は堰の一部でもあり、交通路でもある。
第④河道の架橋部と連続して巨礫を敷設する。深さ1m、幅30m以上で砂利を巨礫に置換、第④河道架橋→回復砂州→河道③マルワリード側の河道②まで連続させる予定。すなわち、堰の上を通る「水上道路」(11月9日受信の主要河道図参照)
2012年11月29日

復旧中州は約半分が半月状に埋め立てられ、半月の先端が河道③を潰しながらマルワリード側へ向かう。
これが実は成否を分けるところ。島は籠や巨礫を埋設、表面を洪水で現れても残るようにしている。おそらく最大の物量を投ずる所。
2012年11月29日

処置中の第③河道。
同部は奇しくも、PMSが9年前に最初に堰工事を行って惨敗、水の猛威を知った場所。いかに両岸が手をつなぐか、これから先は、ひたすら水の理に従う世界。
「汝ら、この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」。それは生死のきわに似て、もはや誰の都合も、誰の意見も立ち入れない神聖な境界のようだ。小細工や問答は無用、河に尋き、天に祈れ。
2012年11月29日

水位を見ながら堰は伸ばされる。
第⑤、第④河道の処置が終われば、遮水壁を切って水を流す。現在床面から110㎝、低水位にしても不自然なものだ。
だが、河道⑤下流の浅い流れ→河道④の架橋→回復中州→河道③の交通路が確保できれば、マルワリード側第②河道で水位はいかようにも調整できる。
2012年11月28日

取水門背部、第⑤河道上流側にある堤防。
長さは最終的に80m、高さ4mのうち、現在1.6mが完了しつつある。
2012年11月28日

籠は一段目が高さ1m、2~6段目が高さ60㎝のふとん籠を積み上げ、80m全長にわたり、内部はコンクリートで埋め、分厚い遮水壁を成す。
2012年11月28日

取水門の前面。
下部2mの造作を終え、いつでも水が流される準備を整える。
2012年11月28日

水門左翼。河道⑤に水が流されれば、交通路はここだけになる。
2012年11月28日

同背部
2012年11月28日

同取水門右翼。
堤防とはコンクリート壁で接続する。堤防下段は強靭な捨石工を施し、水中に浸かる壁面を守る。
2012年11月28日

背面から見た取水口と周辺構造。
砂利の遮水壁が切られれば、河側からの交通路が絶たれる。水路と河を隔てる堤防が唯一の道で、籠を積み上げると万里の長城のように見えるが、長さは80m。下段の造作を急ぐ。
2012年11月28日

同堤防下流側と第⑥河道。
ここからは天端の幅が12~25m、安定して見える。
2012年11月28日

400m彼方に対岸のマルワリード堰(第一河道=5か所の砂吐き)。
例年渇水に悩み、改修を繰り返していた。やっと安定した間もなくの2010年、大洪水で中州を失い対策に苦慮していた。今年はカシコート工事のおかげで渇水知らず。石の上にも10年。
2012年11月28日

2011年10月から始まったカシコート地区洗掘部護岸の冬の河川工事のその後。

越流型水制の問い合わせがあるので、結果を報告します。
湾曲河道を埋めつぶした後、旧主流入口部は5基の越流型水制(厚さ1.5m、幅5m、長さ30~40m)を65m間隔で設置、堤防壁の根固め工を兼ねた。ひと夏を経て土砂が堆積、水制先端で河床が下がり、もはや洪水進入は当分ないと思えます。
あとはPRT(米軍・地方復興チーム)が壊れた橋を撤去することですが、今のところその気配がありません。
2012年11月19日

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