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第⑤河道と復旧中州を堤防側から見る。
中州を挟む両端が第④河道、第③河道となり、中州は第⑤河道と一続き。「河道」という呼び方でややこしい説明だが、要するに、取水門床より高い堰が200m、取水門下流側から河の中心へ連続し、その間に低い河道④が割って入ると考えてよい。
2012年11月22日

カシコート堰の全体を眺める。
河道⑤は回復中州と同レベルに並び、同一の堰が低い河道④で切り離される形。回復中州と河道⑤の違いは、単に高さが中州の方が数十㎝高いだけで、機能的には同じ堰として一連のもの。
2012年11月22日

堰の前面は緩やかな傾斜をつけ、厚さ0.5mでコンクリート化。浅い砂吐きを設けて砂の堆積を防ぐ。
2012年11月20日

第⑥河道は、堤防と自然砂州の間にある比較的狭い流れで、過度の堰上がりを防ぐため、自然の高水位河道を残したもの。
2012年11月22日

河道④の架橋工事。
着工から3週間。これも精鋭を集めての記録的な超突貫工事となった。早いとはいえど、手抜きはない。
床面は厚さ1メートル以上のコンクリートに鉄筋網を二重に設けて壁を立て、両端は巨礫の層で挟まれる。夏期は水没する。
橋脚だけは頑丈にし、上部は着脱自在、太い鉄筋を並べて厚い板を敷き、冬の工事にだけ交通を可能にする。
2012年11月22日

開通は2週間後。これが今回の工事の明暗を分ける。
2012年11月22日

回復中州の上流端。
ここから下流側へ、流失した中州の辺縁をたどって河道③を埋めつぶすか、浅い流れにし、対岸マルワリード側へ行く。
見えないが、地面の下は巨礫や籠を埋め、洪水で流失しないようにしている。
2012年11月22日

回復中州の下流端を見る。
河道③と河道④は、中州で割られた旧中心河道。河道④が開放されれば、河道③を渡ってマルワリード側の処置ができる。
見る者によってはただの河だが、吾々にとっては、積年の悲願が成るか否かの重大局面。
2012年11月22日

働く人々。
「資金と設計図があれば水利施設ができる」と思っている方は居ませんか。この仕事を支える大きな柱の一つは、500名の作業員や運転手たちの、士気と忍耐だ。
10年間、一貫して作業に携わった者が少なからず、勤勉で正直な者が残った。技術的にも、もはや職工というべきで、往時の「素人集団」というイメージはない。
働くことでまとまってきた集団は、血縁・地縁を超え、地域で重きを成す実力部隊だ。
2012年11月22日

機械が故障すればシャベルを振るい、シャベルが折れれば手でもやる。車が止まれば歩けばよい。
これがPMSの流儀、日本で通用するかどうか分からない。
2012年11月22日

分業は当然あるが、同一作業員が鉄筋加工、型枠作り、組立作業、蛇籠生産、コンクリート打設、何でもこなす。
2012年11月22日

仮架橋・橋脚付け根の配筋
橋脚と床面接合部。鉄筋は全て16mm。橋脚と両端壁面の高さは1200mmです。
2012年11月22日

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