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資料: カシコート取水口上流部の状態と措置

■上流部の状態と最近の変化

カシコート取水口から上流左岸は、クナール河の最も狭まる場所(工事前の川幅90~110m)が約400m続き、約800m地点から急激に幅約1㎞の河川敷が広がる(図参照)。この河川敷には、河道が縦横無尽に流れ、無数の砂州を形成している。右岸はヌールガルの集落まで岩盤に沿って水深が大きく、左岸カシコート側は、約2㎞上流のサルバンド取水口まで浅い流れを成し、同取水口からさらに上流は岩盤が迫っている。

主要河道は、砂州S2-S3間(以下、砂州をSと記載)で斜めに、幅広い砂利堆積の上を通過する。同様の変化がその支流S4-S5間で観察され、粒径30㎝以上の巨礫で河床が覆われている。傾斜は、S1-S2間で0.0015、S2-S4間で0.001,S4-S5間で0.0005~0.0009である。即ち、上流側S3~S5が平坦で、堰き上がりが起きて段差を作り、狭窄部(S1-S2)で比較的急流となる。

サルバンド村落群は、この狭窄部を埋めるように、耕作地が河にせり出している。S2はシルト層が表面にあり、耕作地で見られる小川沿いの植樹の跡が観察される。S1-S2間は、PMSがマルワリード用水路建設を始めた2003年までは、二つの浅い高水位河道があり、カシコート下流域を潤す旧取水口に連続していた。

2010年の大洪水は、S4~S6間で幅広く侵入し、サルバンド村全体が浸水した。洪水はS1へ向けて流れ、耕地の約半分が荒廃した。更に、この洪水で河道変化が起こり、毎年夏期の増水期にS3~S5にかけて浅い流れが拡大し、耕地の侵蝕が進んでいった。

州政府農村復興策で得た資金を基に、村人が自分の手で、サルバンド取水口から下流側・約400mにわたって護岸工事を進めていた矢先のことであった。この工事は、高さ1m×1m×2mのふとん籠を三段に組み、100m毎に長さ6~8mの透過水制を設けている。大部分は健在だが、下流端約100mが洪水で崩壊し、発生した河道に埋もれている。

この護岸壁の天端と現水位(2013年2月現在)の差は約2.6m、2010年夏の洪水はこれを数十㎝超え、上流側は残り、下流側が崩壊した。S4~S5に面する地域は、次第に浸食が起き、耕地を失っていった。万策尽きて、多くの農民がパキスタンへ家族ごと退避した。

■考察と対策

1.  取水部の洪水来襲は運命的なもので、巨視的に見ると、このような変化を繰り返しながら、より下流へ下流へと村落が移動したものだろう。だが問題は、とりあえず今、どうするかだ。大洪水(2010年)後の河道変化は、予想以上に大きく、立案から1年の間にも、座視できぬ変化が起き続けている。また、夏期には見えなかった河川敷が明らかになるにつれ、詳細が判明してきた。特にS2-S3、S4-S5間の砂利堆積が年々増しており、夏の高水位は大洪水前よりも上昇、洪水再進入の危険性がますます高くなり、河岸侵蝕も更に進むと思われる。元凶である砂利堆積は、下流側河道の著しい狭窄が大きく影響している。

2.  PMSとしては、800mまでの護岸工事と河道拡大を予定通り完了するが、増水期を目前に、ある程度の応急措置は避け得ない。S4~S6間の堰上がりを軽減するため、小さなショートカットを緊急に掘削した。この河床材料は、径25~35㎝の巨礫が多く、掘削で得たものを住民が守る護岸線に積み上げ、村民と協力、巨礫間に柳枝工(ヤナギの密植)を施せば、相当の防災効果があると思われる。

3.  現在の計画―――カシコート取水口から800m上流区間の河道拡大(狭窄河道の拡大)が成れば、それだけでも相当な予防効果を発揮する。計画に大きな修正を加えず、上記緊急処置を行った後、計画区間の適切な護岸を行えば、護岸線に沿って河床低下と流速の増加が起きる。これによって、上流部の堰き上がりをかなり軽減できる。

4.  カシコート住民が自力で作ったふとん籠の護岸は、生半可な構造物よりは、かなりしっかりしている。このような自力更生の意欲をそがず、多少力添えをする程度に止めた方が、長期的に良い影響を期待できる。

砂州の位置、水位、自然地面の高さの模式図

クナール河上流左岸の護岸工事

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