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ミラーン堰、終局へ
~カマ堰、第三次改修中、スピンガル山麓の治安悪化~

平成27年12月17日 記

「美しい取水口」として、今、野次馬の見学者が絶えない。さあ、君も散歩してみよう。河道③Bの位置から堤防沿いを水門の方へ向かい、水門から降りて、砂州1→砂州2まで歩き、河道②を近くから眺めてみよう。砂吐き1・2は橋が架かっていて、堰の先端は砂利の交通路が敷いてあり、今格好の散歩道だ。夏は増水で通れないが、春までは大丈夫だ。山田堰と一見違うが、原理は同じだ。河道③ABの分岐部が原鶴温泉辺り、河道②=砂吐き(3)が南舟通し、砂吐き(2)が中舟通し、砂吐き(1)が水門前の砂吐き当たる。出発点から水門まで700m、水門から河道②手前まで約300mだ。いろんなものが目に入る。

河道③ABの分岐部。一週間前まで砂州3までを堰き止めて、交通路にしていた。ほぼ等量が分かれる。
山田堰では、原鶴温泉付近に分流があり、増水時(4,500m³/秒以上)に余水が分流に流れるようになっている。

河道③Bは、200mで約2メートル(傾斜1/100)を下る。激流になるので頑丈な護岸が施してある。このミラーン側護岸を岩盤並みに強靭に仕上げ、河道を固定しようとする試みだ。これは話が長くなるので、今は難しい話を別にして、散歩を続けよう。

砂州3の柳が原を見ながら、目を下流に転じてみよう。引き込まれた河道③Bは、再び二つに分かれる。水門側へ向かう河道①は直進、砂州2と3の間を通る河道②が右折する。③Bの流量のうち、約50%が河道②へ注ぐ。これが南舟通しという訳だ。

柳が原の砂州3と河道②を過ぎ、500mほど歩いて振り返る。引き込まれた河道③Bが急傾斜で下ったのち、突然ゆるやかな流れが広がるのが分かる。護岸を見て欲しい。この辺になると25mごとに設置した水制が並んでいる。河に出る部分は短いが、実は堤防の中に埋めた水制の頭だけが突き出ている。ミラーンは砂泥の軟弱地層なので、骨格を入れて強靭にしているのだ。

ここで河側を眺めよう。真正面に砂吐きⅡが見える。河川工事は交通路確保が生命線と言ってよい。堰の工事は夏の増水期にはない。そこでダンプカーや重機が通れるよう、冬の橋を架けた。夏は水没して通れないが、もう一つの大切な役目は、急流(射流)をここで作って、河道にたまる土砂を抜き出すことだ。幅1.5mの溝が6本あり、水深1mで毎秒・約90~100トンの水が流れる。いわば風呂桶の栓と考えて良い。1.5mにした訳は、小分けにした方が対処しやすいから。

600mほど歩くと、もう水門が目の前にある。ここで、どこかで見た様な感じが湧く。そう、階段の上に恵蘇神社の境内を置けば分かるはず。砂吐きが少し違うのは、橋を兼ねて交通路にしていること、倒伏式の電動水門の代わりに、堰板が置けるようにしていることだ。

さあ、水門を通り、階段を下りて、近くから砂吐きⅠを見てみよう。橋は木製で、砂が敷いてある。夏に取り外すためだ。幅1.5mの溝が4本、それぞれに堰板が置けるようにしている。流量は、偶然だが福岡県朝倉の山田堰の砂吐きとほぼ同量が流れる。石張りの巨礫は砂利が敷いてあって見えない。

階段を降り、砂吐きⅠを渡り、取水門側を見よう。ちょうど山田堰の水神社境内の楠木あたりに、にわか作りの監視塔が立っている。取水門前は穏やかな流れだが・・

橋のやや下流から水門を眺める。取水門前は穏やかだが、砂吐きⅠは激しい流れで下る。

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