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灌漑ルートと地図一枚
~記録的少雨、7ヵ月間ジャララバード、大混雑~

事務局ボランティアスタッフの末本氏が連絡してきた地図は、職員を震え上がらせました。地図はあるWebサイトがネット上で配信した衛星画像で、作業地の地形が鮮明に見えます。「グーグルで10年以上更新されていないガンベリ沙漠の変化が見える」との嬉しい知らせでした。勇んで開いたのも、つかの間でした。地図から推測すると、シェイワ周辺の更新は、2010年~2011年の間に散発的に衛星撮影したものが合成されています。何と偶然、現作業地の2010年7・8月(「200年に一度の巨大洪水」)の様子が手に取るように見えるではありませんか。

あの時のことは忘れることができません。2010年7月30日、小生は旧カマ堰で容易ならざる事態を目撃、水路壁を切り崩して開放、洪水進入防止の決死の作業に従事していました。マルワリード堰では、大きな中洲が流失するという、信じられぬ光景を目にしました。カシコートでは、クズカシコート村が濁流に呑まれ、壊滅的な被害を受けていました。パキスタンではインダス川沿いで4000名の死者・行方不明を出した時です。 国際社会、政府も無関心でした。事態はまともに知らされず、復旧や救援どころか、カマ郡で外国軍ヘリが遺体を搬送する村民に機銃掃射を浴びせました(掃討作戦だと説明されました)。ほとんど密室の地獄図だったのです。この大洪水で、更に多くの人々が耕地を失い、隣国に難民化していきました。多数の犠牲者だけではありません。より深刻なことは、人々の間で生まれた決定的な不信感でした。不十分ではあっても、人間らしい努力や同情があれば、まだ慰められます。それさえもなく、勇ましい戦況や安全情報、政治動向だけが報道で飛び交い、現実との深い溝が生まれていきました。こうして、天災が人災に転嫁されました。

地図は、最善の資料になりました。直ちにコピーして担当職員に配布し、「議論は止めて河に聞け」と一喝、「灌漑ルートと護岸線の決定は院長に一任」と指示しました。

マルワリードⅡの取水は今のところうまくいきそうです。次の重要段階は、主幹水路、分水路、排水路らのルートを再検討し、時間をかけて決定していこうとしています。 地図一枚ですが、様々なことを思いめぐらしました。クナール河はそんな人の世とは無縁に、今日も流れています。ここは人の理屈が及ばぬ神の支配領域であることを、改めて肝に銘じました。

平成28年12月26日 記

護岸線1500m地点の洪水進入路(上記地図参照)。河の分流形成が進んでいる。2016年12月23日

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