Top» トピックス» 掲載日:2023.3.31

今後のアフガニスタンと日本

ペシャワール会会長/PMS総院長 村上 優
はじめに
 アフガニスタンを視察したメンバーによる訪問記の締めくくりとして、今後のアフガニスタンと日本について触れてみます。今回の訪問は、中村哲医師と伊藤和也君の慰霊とともに、多くの事業を視察することが目的でしたが、信頼関係の強化という意味で大きな成果を上げました。カマ、シェイワ、バルカシコート、バラコットなど行く先々で村の長老が感謝を伝えに来られ、素朴で、真摯な、アフガンらしい心のこもった歓迎を受けました。目の前にあった戦争がなくなり、治安の改善と平穏な日常生活を垣間見ることができました。貧しさも目にしますが、それでも人々の活気と賑わいは心地よいものでした。

百聞は一見に如かず
 PMSと協議をして、今後は日本からの訪問を増やすことで一層の信頼関係を築いていきます。現地をみて、現場で語り、アフガニスタンの現状を共有し、意見交換して働く大切さを強く印象づけられました。いずれPMSメンバーの来日が可能となる時期もくるでしょう。次の世代につながる人材交流と育成が求められています。

 中村医師は40年以上戦乱が続いたアフガニスタンで、一発の銃弾を撃つこともなく、命をつなぐために、医療と灌漑事業、農村復活に尽力しました。アフガニスタンの人々は中村医師が亡くなっても彼の行動と事業を記憶し、感謝し、尊敬し、信頼しています。中村医師は「”信頼”は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも安易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる」(『天、共に在り』)と語っています。中村医師への信頼は、PMSへの信頼として、それを支えた日本への信頼となって遺されました。

 日本人としての私たちは、中村医師が歩いてきたように実直に歩き続けることが肝要です。その決意を改めて胸に刻むことができました。

PMS灌漑事業の普及
 JICA(国際協力機構)が無償援助事業として、PMS方式灌漑事業の普及のために、国連機関であるFAO(食糧農業機関)とPMSが協力して実施する灌漑事業を計画しています。今回の訪問でクナール州のヌールガル地区と、ナンガラハル州のゴシュタ地区を視察して、候補地を確認してきました。実際の灌漑工事を共に進めながらon the job trainingで普及をはかることには夢があります。ペシャワール会&PMSの単独事業で実施するのも大切ですが、PMS方式が広がるには様々な人々の善意の協力が大切です。

 一方、2022年10月からPMSが工事を開始したコット地区のバラコットでの小規模灌漑用水路は、自然環境の過酷さもあり、非常に困難な工事です。成功すれば、このような5,000mクラスの山々の谷間にある干ばつ地域の対策として、朗報をもたらすことでしょう。PMS方式の応用編の試みは、PMS技師とペシャワール会PMS支援室・技術支援チームの真剣な意見交換を踏まえ、試行錯誤しつつ前進しています。

昔ながらの生活へ
 1967年当時のアフガニスタンは、戦争も地球温暖化もない乾燥地帯で、山々の裾野に村々が点在し、農業を営んで生活をしていました。東京大学西南ヒンドゥークシュ調査隊の報告書『アフガニスタンの水と社会』(東京大学出版会、1969年)がこれを記しています。「戦争と地球温暖化」は人類がもたらした災禍です。アフガニスタンでは60年間で環境が一変しましたが、当時と変わらぬ人々の暮らしが現存することも事実です。水さえ得ることができれば、昔のように生きていくことができる。そのような、回復した将来の世界が「報告書」の中に具体的に記されています。当時の生活を日本人が記録していたのも縁です。日本とアフガニスタンが、遠く離れていても、色々な糸で結ばれていることを知るのも一興です。

 230ヘクタールのガンベリ農場は森が拡大し、作物も多様性を増しています。中村記念塔と公園への訪問者が多く、人々の憩いの場になっています。塔には優しいまなざしの中村医師が刻まれています。まさに平和のシンボルです。

 2019年調査では、中村医師とPMSが灌漑した地域の耕作面積は16,500ヘクタールでしたが、今回の訪問で23,800ヘクタールへ増えていることが確認されました。アフガニスタンの農民の手によって、維持拡大されていたのです。中村医師が河の中で重機を操作し、灌漑工事に勤しみながら遠目で見ていた平和です。生まれた緑が「平和とは理念でなく現実の力だ」と力強く語っています。

日本人にできることは?
 私たちはタリバン政権による国連やNGOでの女性就業禁止の通達をジャララバードで聞きました。国際世論は強く反発し、制裁強化が叫ばれましたが、アフガニスタン国内は冷静に受け止めていたようです。ダラエヌール診療所には女性が就労していますが、以前と変わらず元気に働いています。なお、診療所スタッフは医療活動の強化を強く望んでいました。

 アフガニスタンにとって天文学的な金額となる2兆ドルを超えた米国の支援が生んだのは「カネ社会」で、富の極端な偏在と腐敗でした。アフガニスタンの人びとに等しく恩恵を与えられていれば、また異なった歴史があったかもしれません。

 地球温暖化の影響がこの地域に大きく現れていることは確かです。ダラエヌール診療所から見えるケシュマンド山脈の雪は極端に少なく、また南部のスピンガル山脈の麓は干ばつと、時に来る洪水で大きく荒れていました。
 今、私たち日本人はこの地で何ができるのか。何をなすべきなのか、中村医師の声が聞こえてくるようです。